第十四番瑞応山弘明寺(弘明寺観音)
神奈川県横浜市南区弘明寺267

宗派=高野山真言宗
札所本尊=十一面観音
開山=善無畏三蔵
開創年代=養老五年(721)


 下町にあって、地元に溶け込んでいる寺である。仁王門の横には、竹材を用いた観音が祀られており、石段を上って本堂に至る。また、庫裡の前にある四脚門は楓関門と呼ばれ、横浜市内最古の門で、応永十八年(1411)の建立である。
 行基菩薩作とされている本尊の十一面観音は、主に関東地方から東北地方に作例が残る鉈彫りの像である。像高180センチ、欅の一木造で、平安時代後期の作と考えられる。国の重要文化財に指定されており、本来は秘仏だが、希望者に開扉している。また、弘明寺は、弘法大師作と伝えられる双身歓喜天でも有名で、毎月八のつく日は縁日としてにぎわう。
 養老五年(721)のこと、天竺の善無畏三蔵が来朝して、密教の機縁を求めて諸国を巡った。そして、七つの石を加持して陀羅尼を書き、当地の山に納めて結界としたのが始まりと伝えられる。
 続いて、行基菩薩が当地に来た時、空中に白蓮が乱れ飛び、山上の古木のあいだに落ちるのを見た。さっそく山に登ったところ、白狐と烏に乗った神(稲荷明神と熊野権現)が現れて、善無畏三蔵の事跡について語った。行基は荒削りの観音像を一刀三礼して作り、この地に安置した。天平九年(737)のことといわれる。
 さらに弘仁年間(810〜824)には、筑波山にいた弘法大師が、はるかに瑞雲がたなびくのを見て、当地に巡錫してきた。そして、善無畏と行基の跡を継いで伽藍を建立し、一千座の護摩を修したといわれている。

平幡良雄氏蔵

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