第十三番金龍山浅草寺(浅草観音)
東京都台東区浅草2−3−1

宗派=聖観音宗
札所本尊=聖観音
開山=檜前浜成・檜前竹成
開創年代=推古天皇三十六年(628)


 関東で観音といえば浅草の名前が挙がるほど、全国的に有名な浅草観音は、東京の下町に広大な境内を有している。雷門・宝蔵門・観音堂・五重大塔は、いずれも戦災などで焼失し、戦後に再建されたものである。観音堂の東に建つ二天門は、元和四年(1618)に徳川秀忠が寄進したもので、国の重要文化財に指定されている。本坊の伝法院は安永六年(1777)の建築。参道に並ぶ仲見世の賑わいをよそに、庭園を中心とした静かなたたずまいを見せている。
 檜前浜成・竹成という漁師の兄弟が、推古天皇三十六年(628)三月十八日に、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたが、魚はとれず、小さな観音像のみが網のなかで光を放っていた。兄弟は、当地の豪族である土師直中知に相談して、草堂に祀ったのが始まりとされている。これら創建にかかわる三名は、後に三社権現として祀られるようになり、浅草神社の祭神になっている。
 舒明天皇の御代(629〜641)になって、「この地久しく殺生を業として、甚だ不浄のところなり。必ず天火起って、無垢の浄土にならん」との三社権現の神託があり、正月十八日に焼失したが、観音像のみは飛び出して木の梢に移った。大化元年(645)勝海上人が当地を訪れ、新たに堂宇を建立。さらに天長年間(824〜834)慈覚大師が巡錫して、伽藍を再建した。
 江戸に幕府が開かれることによって、その祈願所となり、坂東札所第一の巨刹となった。浅草寺が第一番札所でないことを不満に思った江戸っ子は、「江戸自慢十三番がこれくらい」という川柳を残している。

平幡良雄氏蔵

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