第十二番華林山慈恩寺
埼玉県岩槻市慈恩寺139

宗派=天台宗
札所本尊=千手観音
開山=慈覚大師
開創年代=天長元年(824)


 今でも広々とした田園風景が残る岩槻に慈恩寺がある。本堂前に立つ赤く錆びた南蛮鉄燈籠は、岩槻城主太田氏房の命によって、家臣の伊達与兵衛房実が寄進したものである。天正十七年(1589)の銘があり、県の文化財に指定されている。
 天長元年(824)慈覚大師は、勝道上人や弘法大師の足跡を尋ねて日光山に登り、山頂から一個のすももを投げると、はるか南方に飛び去った。慈覚大師が関東の各地を巡錫して当地に来たところ、池のほとりにすももの木があったので有縁の地と感じ、玄奘三蔵が建立した唐の大慈恩寺と風景が似ているところから、慈恩寺と号して草庵を結んでいた。
 すると毎朝、一人の少女が閼伽水(あかすい)を献じて来るので、子細を尋ねると、「我はこの池に住む者なり。尊師の御法を渇仰して、天竺の無熱池の水を汲み来たる」といって、数丈の蛇と化した。その頭に大師が加持水をそそぐと、再び少女の姿となり、一夏(いちげ)のあいだ回向すれば、その功徳のあかしとして、池のなかに七つの島を浮かべると誓い、水底に沈んだ。大師は少女の願いのとおり一夏の法会をおこない、小石に経文を書写した。結願の後、石を池に投げ込むと七島が出現したので、これを夏島と名付けたという。
 境内向かいの田んぼのなかに、高さ15メートルの十三重塔が立っている。第二次世界大戦中の昭和十七年(1942)、中国に駐留していた日本軍が、南京の郊外で土木工事をしていたところ、偶然に玄奘三蔵の霊骨を発掘した。戦後、その分骨が日本仏教会に贈られ、慈恩寺に納められた。石碑には、「大唐玄奘三蔵納骨塔」と刻まれている。

平幡良雄氏蔵

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