第十番巌殿山正法寺(岩殿観音)
埼玉県東松山市岩殿1229

宗派=真言宗智山派
札所本尊=千手観音
開山=沙門逸海
開創年代=養老二年(718)


 物見山の山腹に、緑に囲まれた境内を有する岩殿観音は、かつて真言系修験の中心として、第九番慈光寺とともに隆盛を極めた。一説には、慈光寺や秩父三山と同じく、役行者によって修験の道場として開かれたともいわれる。
 観音堂裏の岩肌には、日本百観音と四国八十八か所の石仏が並んでいる。また、鐘楼にかかる梵鐘(重文)は、元亨二年(1322)の銘があり、天文十八年(1549)の小田原の役の際に用いられたという。
 奈良時代のこと、諸国を巡錫する一人の沙門がいた。名前を尋ねると、「われこの苦海をのがれて、浄土の彼岸に到らんと欲す」と答えたため、逸海と呼ばれたという。養老二年(718)逸海が当地で修行していたところ、僧侶に化した観音が霊夢に現れたので、千手観音を刻んで安置したのが、当寺の始まりとされる。
 その後、延暦年間(782〜806)になると、悪龍が棲みつき、周辺の住民に被害を及ぼしていた。坂上田村麻呂が奥州平定に向かう折に、このことを聞いて悪龍を退治しようとしたが、その住処を見つけることができなかった。そこで岩殿の観音に祈願したところ、六月初めの猛暑にもかかわらず雪が降り出し、あたり一面銀世界となった。さっそく山に分け入ると、一郭だけ雪のないところがあったので、そこを攻めると毒気を吐きながら悪龍が出現。空中に垂髪の童子が現れて毒気を防ぎ、金の甲冑を着た武将が田村麻呂とともに悪龍を退治した。田村麻呂は観音の利益によるものと感じ、桓武天皇に奏上して、伽藍を建立したという。

平幡良雄氏蔵

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