第九番都幾山慈光寺
埼玉県比企郡都幾川村西平386

宗派=天台宗
札所本尊=千手観音
開山=慈訓和尚
開創年代=天武天皇二年(673)


 参道の坂道を登ると、九基の板碑が見えてくる。弘安年間(1278〜88)から寛正年間(1460〜66)にかけての銘があり、大きなものは3メートル以上あって、県の文化財に指定されている。さらに登ると宝形造の開山堂があり、なかには国指定重要文化財の木造宝塔が納まっている。この付近には、釈迦堂、蔵王堂、鐘楼などがあったが、近年の火事で焼失した。
 昔、役行者が当地の岩窟で、蔵王権現を感得、その姿を刻んで仏法興隆の鎮護とした。後に、興福寺の慈訓和尚が役行者の遺跡を慕って当地に至ると、一人の童子が現れ、「この山は大悲者垂応の霊区なり。この地を以って師に与うべし。早く仏乗を興隆せよ」と告げて、一夜のうちに千手観音像を刻んだ。歓喜した和尚は、堂宇を建立して、その尊像を安置したという。以来、関東における天台系修験の中心として繁栄し、明治の修験道禁止まで女人禁制の地だった。
 かつては多くの修験者が籠った慈光寺だが、現在は静かな山寺となっている。開山堂から少し行くと本坊となり、その一郭に宝物殿がある。多数の寺宝を有するが、[法華経一品経]などは国宝に指定されている。後鳥羽上皇や藤原兼実らが書写したもので、厳島神社の[平家納経]、鉄舟寺の[久能寺経]とともに、日本三装飾経の一つである。
 本坊からさらに100メートル登って、ようやく観音堂に達する。慈覚大師作と伝える本尊千手観音とともに、脇侍として毘沙門天と十一面観音を安置している。特に十一面観音は畠山重忠の守本尊で、重忠と等身大とされており、「重忠丈くらべの観音」と呼ばれる。

平幡良雄氏蔵

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