第五番飯泉山勝福寺(飯泉観音)
神奈川県小田原市飯泉1161

宗派=東寺真言宗
札所本尊=十一面観音
開山=弓削道鏡
開創年代=天平勝宝五年(753)


 当寺の本尊は、鑑真和上が来朝した時、孝謙天皇に献上したうちの一体とされ、毘首羯磨の作と伝えられる。
 天皇崩御の後、弓削道鏡は失脚して、下野薬師寺に移ることになった。天皇から下賜された観音像を、有縁の地に安置しようと思い、笈に入れて下向していた。すると、足柄郡千代の里にて重くなったので、この地に祀ったという。以来、普陀落山弓削寺と称して、弓削氏の氏寺として栄え、『吾妻鏡』にも「弓削寺」と記されている。
 天長七年(830)本尊の霊告によって現在地に移転。または、太田道灌が戦国時代の初めに、城を千代台に築いた折、移転したともいう。応永二十五年(1418)には、小田原城の鬼門鎮護の道場となり、称光天皇から勝福寺の勅号も賜っている。
 入り口に建つ朱塗りの仁王門は、江戸時代初期の再建である。富士の裾野で父の仇討ちを果たしたことで名高い曽我兄弟は、勝福寺の仁王門に祀られている仁王尊から力を授かったといわれている。
 永禄年間(1558〜70)には、ダルマ市がおこなわれるようになり千両市と呼ばれるほど賑わった。現在も十二月十七日と十八日に開催されている。江戸時代に入って、寛政年間(1789〜1801)に雷電為右衛門が大岩岩五郎を破った相撲は、当寺の境内での出来事である。
 また、文化元年(1804)には、十八歳の二宮金次郎が、当寺で旅の僧が『観音経』を訓読するのを聞いて、深く感じるところがあったという。境内には、金次郎が礼拝する姿の銅像がある。

平幡良雄氏蔵

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