第四番海光山長谷寺(長谷観音)
神奈川県鎌倉市長谷3−11−2

宗派=浄土宗
札所本尊=十一面観音
開山=徳道上人
開創年代=天平八年


 鎌倉の海と町が一望できる風光明媚な位置にあって、近くの鎌倉大仏高徳院とともに、多くの参拝者でにぎわっている。近年に再建された本堂のなかには、鎌倉時代の作とされる9.18メートルの巨大な観音像が立つ。その金箔は、足利尊氏の寄進と伝えられる。また宝物館では、重要文化財に指定された梵鐘や懸仏などが拝観できる。
 当寺の本尊は、大和長谷寺と同木同作と伝えられる。昔、大和国初瀬の河上に、近江国三尾の山から楠の巨木が流れ着いた。徳道上人がこの霊木を礼拝していると、稽文会・稽主勲の二人の仏師が現れ、三日間で二体の巨大な観音像を制作した。このことが文武天皇の耳に達し、藤原房前を勅使として礼拝させ、導師に行基菩薩を迎えて天平五年、開眼供養を修した。
 行基菩薩は、末木の尊像に向かい、「初瀬に二体奉安すると、衆生はいずれを信じるべきか迷ってしまう。いずれかの有縁の地に移ってほしい」と祈った。別の山に移して祀っていたが、後に洪水があり、尊像は流されて行方がわからなくなってしまった。
 天平八年になって、鎌倉由比の沖に光を放つものが出現し、六月の大潮によって浜に打ち上げられた。漁師たちが鯨と思って集まったところ、十一面観音の尊像だったため驚き、仮屋を建立して安置した。
 そのころ諸国を行脚していた徳道上人は、小田原の近くの里に至った。その夜、老僧が霊夢に現れ、「我は汝が本願の末木の観音なり。今有縁に従って由比ヶ浜に出現せり」と告げた。夢から覚めた上人は、急ぎ鎌倉に行き、尊像を拝して堂宇を建立したという。

平幡良雄氏蔵

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