第三番祇園山安養院(田代観音)
神奈川県鎌倉市大町3−1−22

宗派=浄土宗
札所本尊=千手観音
開山=恵心僧都
開創年代=天元年間(978〜983)


 現在の第三番札所は、本来札所だった田代堂が、安養院に合併したものである。
 天元年間(978〜983)、恵心僧都が相模国愛甲郡都久居の辻堂で一夜を明かしていると、難陀龍王の使者と名乗る老人が霊夢に現れた。翌日、川のほとりで数万の亀が群がり、一本の霊木を守護していたので、この木で観音像を彫刻し、辻堂に安置したとされる。建久三年(1192)のころ、源頼朝の家臣で平家追討の軍監となった田代信綱は、この観音を篤く信仰し、尊乗上人を迎えて鎌倉比企谷に移転。以来、田代堂と呼ばれるようになった。
 一方、安養院は、願行上人が健治年間(1275〜78)に創建した。ある夜のこと、上人の枕元に源頼朝が立ち、冥府に迷って苦しんでいると告げた。さっそく鎌倉の稲瀬川の近くに道場を建立して、如法念仏迎講の大会を修したのが初めとされている。
 また一説には、北条政子が源頼朝菩提のため、願行上人を開山として嘉禄元年(1225)に祇園山長楽寺を創建。しかし同年、政子が没したので、長楽寺に埋葬して、北条泰時が安養院に名を改めたという。
 正慶二年(1333)新田義貞の鎌倉攻めに際して焼失、浄土宗名越派本山善導寺があった現在地に移転し、北条政子の墓も移している。さらに江戸時代になって、延宝八年(1680)に火災にあい、田代堂を移築して再建したことによって、第三番札所となった。
  境内に入ると、当寺の住職だった尊観上人が植えたという樹齢七百年の槙の大木がそびえる。また、本堂裏手には、北条政子と尊観上人の墓と伝える宝篋印塔(重文)がある。

平幡良雄氏蔵

(C) 2001 International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved