第二番海雲山岩殿寺(岩殿観音)
神奈川県逗子市久木5−7−11

宗派=曹洞宗
札所本尊=十一面観音
開山=徳道上人・行基菩薩
開創年代=養老五年(721)


 山裾から山上まで、境内が広がっている。山門を入った左手に庫裡があり、ここの一室で病気療養中の泉鏡花は、小説『春昼』を執筆した。観音堂脇の瓢箪型の池は、鏡花が寄進したものである。観音堂に至る長い石段の途中にある地蔵尊は、爪彫地蔵と呼ばれており、弘法大師の作という。このあたりから海を望む風景が素晴らしく、逗子八景の一つに数えられている。
 縁起によると、養老五年(721)徳道上人が、当地の岩窟にて十一面観音を感得。熊野権現の化身という老翁の霊告があって、仏教興隆の鎮守として、熊野権現を祀った。数年後、行基菩薩も観音を感得し、その姿を刻んで安置したという。そのため当寺では、徳道と行基の二人を開山としている。
 正暦元年(990)に花山法皇が、承安四年(1174)には後白河法皇が参詣したという。建久三年(1192)三月二十三日、源頼朝が三浦介らを従えて参拝しており、また貞永元年(1232)十二月十八日には、観音堂の修理供養が営まれたと、『吾妻鏡』に記されている。
 熊野権現社の奥の岩陰に、蛇の蔵と呼ばれる井戸がある。伝説では、昔、この地に大蛇が住んでいたが、猟師が射止めて骨を井戸に沈め、蛇の霊を祀ったとされる。この井戸は江ノ島の弁天窟に通じているといわれる。
 また、観音堂の裏手には奥の院の岩窟があり、寺号の由来となっている。最奥部に石造の十一面観音を安置しており、室町時代の作と推定される。

平幡良雄氏蔵

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