当該画面は、時間的空間的な異なりがある二つの画面を、同時に描く手法をとるものである。
 この画面を構成するのは二者。右手で杖を突き、左手で巻物を持って亀の上に立つ画面左上方の年老いた男性と、右手に中啓(ちゅうけい)を持ち、老人を仰ぎ見る画面右下方の男性である。しかし後者の男性は、必ずしも実際に亀に乗った老人を見ている訳ではない。
 霊験譚の記述によれば、白髪白髭の老人は、恵心僧都の前に現れて観音像を作るように薦めた人物である。老人が乗る亀は、彼が龍王の使者であることを示唆するが、霊験譚中に老人が亀に乗るという記述は見られない。一方、文机に向かった体勢から振り返って顔を上げる武家の男性は、霊験譚の表題に掲げられる田代信綱である。彼は恵心僧都作の千手観音を信仰して霊験を受けた人物であることから、僧都に観音を作るように告げた龍王の使者と信綱が、同一の時間空間に存在しているのではない。
 龍王の使者である老人の上衣には、紗綾形(さやがた)文様が空刷りで施されている。彼の頭部及び杖は扁額部にかかっており、老人が扁額よりも手前に描かれていることを示している。また老人の乗る簑亀(みのがめ)は、彼の着物の袂や裾等の輪郭との重なり、また霊験譚本文の文字との重なりから、一番最後に刷られたものだと推測される。
 画面中に巻物が描かれるものとして、西国第二番、西国第六番、西国第十番、西国第十六番、秩父第一番、秩父第三十三番、坂東第二十八番が挙げられる。これらは霊験譚の記述によって、経巻であることを確認することができる。しかし、当該画面に登場する老人が手に持つ巻物はそれが何であるのかを特定する材料はなく、また信綱の前に広げられた冊子に関する記載も霊験譚中には見られない。
神奈川県立歴史博物館蔵

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