其昔当地に徳義山人といふものあり日夜法華経をよミけるにある夜乾闥婆王(けんだつばわう)あらハれて百済(はくさい)国王より聖徳太子へたまハりし観音の像鎌足(かまたり)の末家にて失(うせ)たりしが今この阿薩婆(あさば)の梢(こずへ)にあらハれてなんぢにさづくるときゝそのあさばの梢を拝(はい)すれバ尊像光明をはなつてらいはいの手にとゞまり給ふこれを行基腹(はら)ごもりとして大像を作れり今の本尊これなり

白木利幸氏蔵

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