足立藤九郎盛長
 当山は役行者が開山した後、慈訓和尚が千手観音の像を安置した。女人結界の地とすることから山の麓には女人堂がある。昔は七十五の坊があり、天台、禅、真言の兼学で他よりもまして由緒正しいことから、頼朝公の御信仰が篤かった。
 治承三年(1179)三月、伊豆より足立盛長を使者として、洪鐘一口御奉納があり、天下泰平の御祈念をしたことより、この鐘を架けた峰を金岳と改めた。
 また文治五年(1189)五月、奥州の平定と安泰の御願があり、軍中において不思議なことが起こったので、御供料地を千二百町御寄進された。その上、神社仏閣などすべてを御建立されたということが、『吾妻鏡』に詳しく記されている。。

廣重美術館蔵

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