百観音巡礼とは
西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を総合して、日本を代表する百か所の観音巡礼と称した。
『今昔物語集』巻第十六「仕観音人行竜宮得富語第十五」に、「此ノ男毎月ノ十八日ニ持斉シテ、殊ニ観音ニ仕ケリ。亦、其ノ日百ノ寺ニ詣デヽ、仏ヲ礼シ奉ケリ」と記されており、京都に百観音巡りの思想が、平安時代にはあったことを示している。
秩父巡礼が三十三所から三十四所になるにともない、百観音巡礼を主張したことを起源とする。長野県佐久市鳴滝の岩尾城跡にある大永五年(1525)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、これ以前に日本百観音巡礼が考え出されていたことがわかる。
江戸時代に入ると、下野国や諏訪などに百観音のうつし巡礼が開創されるが、主に東日本の信仰であり、西日本ではほとんど見ることはできない。