シャクシ・女・魂−日本におけるシャクシにまつわる民間信仰− (Shakushi Rice Scoop ・ Woman ・ Soul : Shakushi in Japanese Folk Beliefs)

王 秀文(Wang Xiu-wen) 東北民族学院助教授

一、シャクシのくぼみ −− はじめに

 シャクシという用具は、手細工のきわめて簡単なものでありながら、日常生活のなかでは欠くことができないものである。この用具がいつごろ日本に現れたのかは、すでに考察不可能に近いが、九州地方では今でも「カイ 」 (例えば、「飯貝」) といっていることから見て、貝殻の自然のくぼみ(1)をシャクシに利用した時代があったことが分かるし、また北海道小樽市から東北地方の大部、新潟県、八丈島、東京都御蔵島など広い地域にわたっで、ヘラという呼び名も残っていて、平らなヘラ状の木をくりぬいたものが古くから用いられていたことも分かる。長い歴史のなかで、生活用具の移り変わりの激しい時代を迎えたシャクシは、種類もそのすくう対象の違いによって、汁用、飯用、穴シャクシ、網シャクシなどに分かれ、形態もそれに伴っていろいろと変わってきた。しかし、「杓子面」、「杓子定規」 などの言葉が示しているように、昔ながらの面影はまだ十分うかがわれるし、また残ってもいるのだ。そういえば、飯を盛り付けるためのいまのシャモジは(2) 平たいものではないかという疑問が出るかもしれないが、柳田国男氏によると、昔ふうのものは背に丸味を持ち、内側が少しくぼんでいたが、ご飯がかたくなってくぼみを必要としなくなったのだという。それでも、そこにくぼみがあるという感覚で、円形ないし卵形を漆塗りにしたこともあるのだそうだ(3)。このくぼみのあるのが日本のシャクシの本来の形態であり、またシャクシに潜められたシンボリズムの源泉でもある。(図1 省略)

二、主婦権のシンボルとしてのシャクシ

 シャクシが食物をすくう用具として生まれ、また使用されてきたことは言うまでもないが、それが食物分配権さらに主婦権のシンボルとされてきたのは日本独自の伝統であると思う。
  日本の主婦は「シャクシ取り」 また 「ヘラ取り」 とも呼ばれている所があるように、主婦とシャクシとのつながりが特に強く、今日の 「主婦連」 の象徴であるシャモジも、このシャクシにつながっているであろう。いまでも日本では、食事のときシャクシを握り、家族に飯を盛りつけるのは主婦の役目であり、権限でもあった。したがって嫁といえども、主婦権がゆずり渡されないうちは、シャクシを握ることは許されなかった。以前は姑のいる家へ嫁入りした場合、すぐに主婦などになれるものではなかった。嫁入りの式は主婦候補者としての就任式なのであり、主婦としての訓練をうけて、一人前の主婦となるまでには、かなり永い期間が必要であった。大藤ゆき氏によれば、姑から見て、嫁に子供ができ、十年も二十年も経過し、家計をまかせてももう大丈夫と判断したとき、はじめて主婦権を譲り渡した例があるが、一般には死にゆずりが多く、鎌倉市十二(じゅうに)所でも、現在七十代以上の主婦はほとんど死にゆずりだという。だから姑がシャクシを握っている間は、嫁は五十になっても六十になっても嫁さんで、「あそこの嫁さんは」とよばれるという(4)。
  主婦権の譲渡はふつう 「シャヤクシ渡し」、「シャクシを譲る」 とよばれるが、「ヘラ渡し」 とか 「イギヤ渡し」 など、地方によってさまざまな呼び方がある(5)。この主婦権つまりシャクシを手渡しする式は、大晦日の晩に行なわれることが多いという。例えば飛騨の丹生川村では、主婦であるカカサが年老いて、もうそろそろ気楽に 余生を送ろうと決心すると、その年の除夜、家族一同がそろって年とりの膳部に向かったときを見計らって嫁に向かい、「あね(6)、みんなの御飯盛らっしゃい」 と言う。岩手県遠野地方では、姑が鍋の蓋に大小二本のヘラを並べて持ち出し、その大きな方で炉の鈎端をたたいてから、それを鍋の上に置いて両手で嫁の方へ押しやると言う(7)。これが 「シャクシ渡し」 の作法の一種であり、姑が嫁に主婦権を譲り渡したことの宣言である。
  この主婦権の譲渡ということは、女の一生にとって重大な転機である。シャクシを譲った姑はもはや家族の一員にすぎず、嫁の囲炉裏での座席は、この日から末座のキジリ (木尻) からカカザ (嬶座) に昇進し、同時に寝室も舅姑のへやを譲られるのが普通である。彼女はこの日以後、家族からも村人からも 「主婦」 の名をもって呼ばれ、またこのとき初めて生家から彼女の荷物が運び込まれたり、穀物倉や土蔵の鍵が彼女の自由になるという例も多い(8)。しかし彼女が負わされる主婦の責任なるものも、決して容易なものではない。日々の献立や一年を通じての主食副食物のあんばいはもとより、家をめぐる村づきあい・近所づきあい・親戚づきあい・先祖祀り・冠婚葬祭・年中行事・講ごとなどと、全生活の多様な仕事もまた、主婦のシャクシによってさばかれ、まさに家政の名にふさわしい女の一生の大事業なのである。主婦権または主婦権の譲渡式に類したものは中国やヨーロッパにもあるが、しかし、そのシンボルはシャクシではなく鍵である。もっとも、食物を盛り付けたり運んだりする仕事も主婦に限ったことではないから、シャクシが主婦権のシンボルになるはずもないであろう。中国では、昔から主婦は「帯鏑匙的(ダイヤオシーダ)」 (鍵を持っている人) とも呼ばれているように、「鍵」 が主婦の地位を象徴してきた。その鍵とは倉や金箱や箪笥などの鍵であって、鍵を持つことは家事 (家政、家務)を掌ることで、重要な存在である。家長である夫が 「当家的(ダンチアダ)」 とよばれるほど一家のボスであるが、しかし日常家事や金銭の出し入れなどに関しては、鍵を持つている妻(主婦)の顔をうかがわなければならない場合が多い。古来、中国でも妻たるものが、同時に主婦の地位を得るとは限らない。夫の家に主婦のない場合は、新婦は主婦となり自ら鍵を預かることにもなれるが、大家族の場合には姑や嫂(夫の兄の嫁) が主婦である、そして、鍵を渡すことは家事を渡すことで、いつ嫁に鍵を渡すかはその姑の自由である。いつ嫁に鍵を渡してもいいし、いつまでも渡さなくても、社会的に非難されることはない。しかし、いったん鍵を嫁に渡した姑は、金箱ももちろん引渡し、日常家事についての指図もしなくなる。したがって、家長である夫が死んで四十歳ぐらいの子があっても、鍵を嫁に渡さず自ら家長の責務と家事を一身にする主婦の例が必ずしも少なくはない(9)。
  ヨーロッパでも古くから鍵を主婦権のシンボルとしてきた。石田英一郎氏によれば、ヨーロッパ人の間では、新婦は鍵を与えられ、離婚された女は鍵の返還が要求されるのであった。夫が死んだとき、妻が鍵をその屍の上に置くと、それは夫の遺産に対する権利の放棄を意味し、またそれに関する義務からも解放されたことになるという。鍵は夫に従属する妻のシンボルであって、主婦の地位の高さを示すものではなかった。ロシアの古代法では、ある人間の身に鍵を結びつけることは、彼を奴隷とすることであった。奴隷は、主人の権力の下にはいると、主人のとびらに鍵をかける役目を負わなければならない。チエーホフの『桜の園』でも、女地主の養女ワーリャはいつも腰に鍵束をさげているのであるが、桜の園が売られたと聞いたとたん、腰から鍵をとりはずし客間の床に投げつけて去った。すると、桜の園の買主で、かつては農奴の子であったロバーヒンは「あの人は鍵を投げつけて行きましたな、もうここの主婦ではないというわけなのですな」 といい、拾った鍵を鳴らした。有名なグリムなども、「主婦が鍵を身のまわりにつけるヨーロッパの風習は、夫への隷属を意味したものかもしれない」と述ベている(10)。また、マルタ、ノートブルガおよびジータといった聖人は鍵束を携えているが、かれらは 家政婦と奉公人の守護聖人なのであった(11)。
  シャクシにしろ鍵にしろ、ともに主婦権のシンボルであることには変わりがないが、しかしそれをめぐる内容には雲泥の差がある。日本でも中国でも家長は男性たる夫であることには変わりがないが、しかし日本の場合は、主婦のことを、北陸・東北地方でエヌシ、越後でイノシ、信州でオエヌシ、九州南部から沖縄諸島にかけてはイエトウジ (「トウジ=刀自」は「頭」の意味) ともいうように、「家主」 を意味することばで呼ばれているのを見れば(12)、シャクシを持つ主婦が奴隷どころか、その権能が想像以上に強かった時代の記憶が呼び起こされ、ある種の神秘感を持たざるを得ないのである。もっとも、狂言『花子』において初出とされる 「山の神」 ということばが妻を指すように、妻は、日本では古くから強い存在でもあった(13)。妻を意味する山の神との関係から考えてみると、シャクシにはもっと厳粛な意味が含まれているかもしれない。

三、山の神とシャクシ

 そもそも主婦に喩えられている山の神とは何であろうか。いろいろな民俗資料によると、山の神は、日本の民間信仰においてほぼ全国的に伝承されている守護神である。里との間を往復し、春になると里に降りてきて田の神となって稲の成育をつかさどり、秋仕舞いがすむと山に帰って休む。山の神のこのような移動性は日本に広くみられる去来信仰を特徴としている。すなわち、山や田、水は他界で、人の死後その霊魂の棲むところである。死霊が時間を経て祖霊を神霊へと昇華融合し、他界と里との間を往来して子孫の生活を助けたり守ったりする。このようなものにまた河童という水の神がある。カワワロ(河童) は夏の間は川におりて水の神となり、冬の間 は山にあがってヤマワロ (山童) となる。河童は、畑を荒らしまわったりなど悪戯をするので、妖怪におちぶれているのだが、田植えや田の草取りの手伝いとか、椀貸し伝説のように人に椀や箸を貸し与えることから見れば、やはり福を人々に授ける守護神の姿である(14)。また山の神を男神とするところ、夫婦神とするところもあるが、女性神とする分布が最も広くかつ濃い。東日本から中部日本にかけては、山の神の別称に「十二山の神」 があり、略して 「十二様」 ともいわれて、一年に十二人の子供を産む女神だからとする説(15)や、農事に深い関係のある季節を司る神だからとする説(16)があるように、いずれも、豊穣多産が山の神と結びつけられている。
  山の神・田の神の性格を同時に持って移動し、生産や出産という産霊神の機能を備え、農村の守護神でもある 「山の神」 は、家庭において、一家の経済をきりまわし、生産と消費をはかり、食物を分配する 「かしら」 である母=主婦の性格と似ているのではないだろうか。このような山の神の性格によく似ており、かつ互いに転換しうる神 (妖怪ともいわれるが) に、山姥がある。多くの伝承によると、この山姥は不気味な一面もあるが、もともとは山の神の巫女で、神を抱き守り育てる役であったが、後にはその妻となったり山の神そのものになったりしたという。山姥はまた、たくさんの神童・若子 (普通は十二人。−山姥を祭るときには、遠くに坐った子にもとどくようにと長い箸を馳走と共に供える)の母であり、同時に財宝や食物などを (ときにはシャクシをもって) 自在に出す力を持っていて、常に珍しい福分を人々に与える(17)。こうなると、家庭の主婦の役割は、まさに山姥と共通しており、大きな家族を抱え、見守り、シャクシ (箸と同じ性質のもの) をもって福分を分配することによって、山全体の主婦権を握っている山の神の権能を代行している「かみ」 と類似しているのではあるまいか。主婦がヤマノカミと呼ばれるゆえんは、ここにこそあるのではないかと、私は考える。もっとも、日本では、古くから他人の妻や、料理屋・茶屋の女主人をも「おかみ」 (御神) と呼んでいる。
  さて、焦点を山の神とシャクシとの関係に当てることにしよう。このことについては、柳田国男氏の集めた豊富な民俗資料があり、以下主にこの資料を利用して述べることにする(18)。柳田氏によれば、多くの地域において山の神にシャクシが納められ、逆に山の神を祀る神社では、子育てのお守りとして女性にシャクシを配布しているという。また、美濃の土岐郡のある村では、ある旧家で毎年長さ一丈もある産衣を仕立てて山の神に献納すると、そのお礼に大きなシャクシをもらい、それを家に伝えたそうである。薩摩地方に多い田の神の石像も右手にシャクシを持っているし、また栃木県足利市五十部の水使神社の御影では、婦人が田祭で特別な役割を果たすシャクシと飯櫃を持っている。山の神に供えるものとしてはオコゼが有名であるが、菅江真澄のスケッチしたように矢やシャクシなどを挿した弓を高い木に結びつけている例もある(19)。ところで、どうして主婦を山の神というのであろうか。「山の神が持つほどの杓子なるがゆえに、これを持つことが人間の山の神をも重からしめたのではなかろうか」 という柳田氏の考えに注目されたい。(図2 省略)
  シャクシに関係を持っている神は山の神に限ったのではない。駿河・遠江の間の三保松原に杓文字神社があり、これには村民がシャクシを奉納するし(20)、野州足利郡山前村の山林に「御尺神(おしゃくしん)」 という小寺 があり、シャクシを報賽としている。上州新田郡笠懸村のオシャクシサマも同じようで、土地の者は社頭のシャ クシを拝借して帰り、報賽には別に新しい一個を添えて返すという。また、奈良の春日の大黒様の場合では、小児の夜泣きを止める願掛けにまず社頭から一個のシャクシを借りて帰り、これにその子の名と年とを書いて戸口に打ち付けておき、効験のあった場合に新しいものを添えて御礼に参るのである。このために社の付近には、シャクシを売る屋台までもあるという。さらに意味深い例として、中山道碓氷峠の熊野権現と箱根の杓子町である。前者はちょうど上信二州の境目にあり、一社にして両県の県社であって、往来の両側に社家町が立ち続き、ここで大小のシャクシを売っていた。後者も同じで、相模と伊豆の境山に接し、ずっと昔から山杓子を細工して箱根権現の坊中に売って生計となし、修験者らはそのシャクシを檀家への配札に添えて送ったという(21)。話がここまでくればさらにいくらか判然とするように、シャクシは山の神だけでなく、他の多くの神々と関係を持ち、拝借されたり配布されたりして人々を守るという守護神のように見えるので、何か超自然的・呪的な力がその中に含まれているのではないだろうかと思わざるを得ない。
  さらに、シャクシが宗教的な性格をもつ儀式や祝事と結びついている例を見ることにしよう。以下も多くは柳田氏の集めた資料によるが(22)、滋賀県犬上郡多賀町の多賀大社では、その四月午日に行なわれる大祭のときに大きなシャクシを白い布でまきつけて、馬に乗っている神官のすぐ後ろから行列をひきずっていく。ここでも人々が 「オタマジャクシ」 と呼んでいるシャクシを神社のすぐわきで奉納物として売っているのである。東京芝の愛宕神社では一月二十四日に、また三重県津市の同じく愛宕神社では二月一日に行なわれる祭典においては、毘沙門天の使者という武士が大きなシャクシを携え行列の中心をなしていた(23)。岐阜県の美江寺が旧正月の大晦日に行なう祭りでも、人形に大きなシャクシを持たせて山車に載せて牽きあるき、そのシャクシの上向き、下向きという動きから年内の雨量を予測するのである。山の神が春の初めに里に下って田の神になるという俗信があるから、これらの行事も、その年の豊作の予祝と結びついているのは明らかであろう。
  宗教儀礼的な行事のなかではまた、例えば次のような例も柳田氏によって報告されている。エビス、大黒、鬼などの面を被って踊る面踊りの行列に、主婦たちはよく山の神の面をつけシャクシを持って出て乱舞をくりひろげるという。また山形県東田川郡羽黒山の羽黒神社で行なわれる大晦日の年寵もりには、「しゃもじゃ節」を歌 い玉依姫神を讃えてよろこばせるのであるが、おそらくこれにもシャクシ舞が伴っていると思われる。ほかにも まだ類似資料は多いが、いずれもシャクシのもつ呪的性格と神、女性、農耕との関係を示しているのである。
  そもそも、日本の民俗宗教においてこれほど重要な役割を演じているシャクシはいったい何ものであろうか。私は、シャクシが「おタマ」 とか 「おタマジャクシ」 などとも呼ばれる名称に、シャクシの呪的な機能の基盤があるのではないかと思う。「タマ」 は、「霊」 と音通で、「魂」の意味が読み取れるが、これは古い日本語であり、霊魂のレイと魂のタマとの両者を結びつけていると宮田登氏が述べている(24)。タマそのものは目には見えないが、モノに依り憑いて具体的に顕在化してくる。そのタマののりうつったモノは多くはカミとなるが、人間に脅威を与えるアラミタマのような怨霊になる場合もある。これに関しては、たとえば室町時代に作られた『付喪神(つくもがみ)絵巻』という絵巻には、歳末の煤払いで捨てられた古器物が妖怪になって、無下に捨てた人間どもに復讐したことが描かれている。これはつまり器物に宿っているタマが起こした崇りであり、それを避けるには祭って鎮撫したりするための諸種の儀式が必要となる。要するに、シャクシというモノは 「おタマ」、「おタマジャクシ」 と呼ばれるゆえんに、「霊魂」 ののりうつっている存在であると日本人が古くから認識してきた のではなかろうか。そうであればこそ、ここではじめて神と結びつくことができるわけである。
  また、シャクシも、タマも、ともに芸者あるいは娼婦など客商売の女をいう言葉にもなっている。したがって、この二語が意味のうえで相通じている証しとなりうるであろうし、またこれによって、女性とも結びつけることができるであろう。もっとも、さきの例にも挙げた玉依姫は神霊が依り憑くの意の女性であるし、シャクシとも関係のある神である。柳田氏は、玉依姫については、「タマとは固より神の霊である。ヨルとは即ち其霊の人間に憑くことで、神に奉仕する巫女尸童が超人間の言葉を為すだけでも斯く名づくることを得たのに、昔は其上に具体化したる霊の力が示され、其果実の出現を以て愈々依坐(よりまし) の人に遠く、神に近きことを證據立て たのである(25)」と述べている。「タマ」 である玉依姫が巫女であり神であるように、「タマ」であるシャクシもまた用具としての性質をもっているばかりでなく、文字どおり 「オタマジャクシ」 として神霊が依り憑いている神聖な存在ではなかろうか。そうであれば、シャクシをもつ主婦も、巫女と同じような、神に近づける神聖な存在になりうるであろう。したがって、主婦 (正確には女性というべきだが) が 「山の神」 と呼ばれるゆえんである。

四、シャクシとヒシャクの呪的機能

 シャクシが神の霊の宿りとして、不思議な呪的なはたらきをする以上、これにまつわる俗信は数多いはずである。これについて述べる前に、形も役割もシャクシに非常に似ていて、また俗信までもほとんどシャクシと区別のつかないヒシャクについても少し述べておこう。
  シャクシをめぐる民間信仰で、よく出てくるのは病気から人を守るという話である。すでに、小児の夜泣きを止める願掛けとして神社からシャクシを一個借りてきて、それにその子の名と年を書き戸口に打ち付けておくという例を挙げたが、同じように、多くの地域で 「くつめき (百日咳) 御免」 と書き込んであるシャクシが戸口にはってあるのが見られるのは、それほど昔のことでもないそうである。これには、子供の性別や年齢だけを書き、「くつめき御免」の願いは暗示されるだけで省略されていたこともある。茨城県土浦市近郊では、家の天井にも シャクシをうちつけているし、九州の佐賀県では 「チゴツキ」と呼ばれる病気にかかると、シャクシに病人の顔を描き道の脇に立てて回復を祈る(26)。また、紀州粉河の杓薬師では子供の皮膚病のまじないにシャクシに字を書いて堂内に納めたり、石城平辺の流行眼病除けのまじないに、ただシャクシを炉の鈎に括り付けておいたりする。さらに福井県南條郡の湯の尾峠で売られている疱瘡除けの 「孫杓子」 も知られているし、信州戸隠では年の暮れに札講中に向かって一本ずつのシャクシを配り、これを受けた家々ではそのシャクシを大戸に打ち付けて正月の護符とすることも知られている(27)。民俗社会においては、家々の門、村はずれの辻・橋や坂・峠などの交通の要衝はよく内/外、生/死、現世/他界といった二つの世界の境界とされ、二つの世界間の空隙で神霊も妖怪もそこに浮遊していると信じられている(28)。したがって、神の送り迎えはもちろん、豆まきのように災いや穢れを追い払うのもよくこのところで行われるわけである。このような境界でさかんにシャクシが売られたり配布されたりするのは、またシャクシが病気除けなどにとって何か特別の機能を持っているからに違いない、と思われる。(図3 省略)
  さらに、シャクシ (ヒシャクも含まれる)は生命の誕生を守護したり予告したりすることができるとも信じられている。例えば、京都などでシャクシが折れたり毀れたりすると、近親に子供の産まれる前兆と見るし、ある地方では、赤ちゃんに産声をあげさせる手段として、シャクシであおぐ習慣もある。駿州三穂松原の子安神神社では、底を抜いたヒシャクを神社の報賽に献じると安産の祈願になり、安産の願ほどきにシャクシの底を抜いて納め、シャクシの破損をもって身内に子の産まれる前兆とする習わしがあるが、これも同じ思想である(29)。これは類感呪術に類似するものであるが、シャクシの呪的機能で一つの魂を解放するのである。女がシャクシとかヒシャクで水を飲めば、ヒシャクのような子とか、口の大きな子とか、あるいはヒシャクとかカエルとかを産むという俗信もあちこちに伝えられており、ここでもシャクシとお産との強いつながりが感取できるであろう(30)。
  魂を解放する、あるいは救出するのにシャクシを使った例として、「鬼の子小綱」という昔話がある。娘が鬼にさらわれる。爺が探しに行き、鬼の子の手引きで鬼の家に行く。隠れていると鬼が帰ってきて、人臭いと言い、発見される。娘と鬼の子の機転によつて危機をのがれ、すきを見て舟で逃げる。追ってきた鬼は海水を飲んで舟を吸い寄せる。鬼の子が母の尻をまくって、シャクシで叩くと鬼は笑いだし海水を吐き出したので、無事に逃げ帰ることができたという話である(31)。これは明らかに冥界である鬼の家からの呪的脱出譚だが、脱出の成功には女性性器の邪悪をさえぎる力と呪具としてのシャクシの力が大きな役割を果たしている。一方、日本の民間信仰のなかで、霊を鎮めるのにシャクシも重要な役割を演じている。
  これについては「船幽霊」 を鎮める風習にまず関心を注ぐ必要がある。海で遭難した漁師たちの亡霊が海上で、船や島、あるいは山などに化して出現すると広く信じられている。この亡霊は、仲間を引き込もうとするために、往来の船さえ見ればヒシャクを貸せヒシャクを貸せと叫んでやまず、これを貸せばたちまち水を吸い込んでその船を沈めてしまう。したがって、かねて用意した底抜けのヒシャクを海中に投げてその霊をだまして鎮めるという(32)。ここでも底抜きつまり穴開けが強調されているのは興味ぶかい。溺死者の霊を鎮めるために与えてやったヒシャクは、霊の 「棲み家」 になるにちがいないと思われる。その証拠として、「足利郡福居などで、死者のあった家では寵又は笊を座敷中転がし、其に杓子を附けて野中の道に棄てる」 とか、盆暮祖霊を送る日にヒシャクを供えると伝えている(33)ところがあり、いずれも、シャクシ・ヒシャクを魂の宿りとする考えが含まれているにちがいないのである。
  とはいえ、死霊を怖れこれを駆逐した昔の魂祭が、送るよりも迎える方に重きをおくようになってきたのと同じように、シャクシまたはヒシャクで霊を送る習わしより、迎える習わしの方が広く分布しているようである。桂井和男氏の収集した資料によると、室戸市佐喜浜町では古く旧盆の十三日の夕方浜辺に出てシキミや盆花をさした花筒二本を左右に立て、たいまつをたき線香を供え、小形の竹ヒシャクで上下に招き、霊を呼んでわが家に迎えてくるというし、土佐清水市貝の川でもやはり旧盆十三日の夕方、水辺にショウライ(精霊) さんを迎えに 出かける。そこで迎え火をたきながら、「清次お爺さん、はよこんせやぁ」、「おちか婆さん、はよこんせやぁ」 と霊たちの名を呼んで、手製の小さい竹ヒシャクで招くという(34)。現在ではたぶんこういう風景はもう見られないであろうが、お盆の先祖祭りに、ヒシャクで水を汲んで墓石などにかけているのは、そのなごりではないだろうか。
  死んだ人の霊を迎えるのとは逆に、死霊にとりつかれないように生きている人の魂を呼び留めるのにもヒシャクが用いられている。例えば、高知県の海岸では、死者のあった家は、死者と血縁のある女たちが三日目の仕上げの日を待って、死者の衣類などを海岸に運び、洗濯をするのであるが、その女たちのもどる時刻を待って、別の女が一人ヒシャクをかついで迎えに出かけ、女たちの姿を見かけると、帰る女たちをヒシャクで招く。土佐清水市とか室戸市とか安芸市などのところどころにもこれと同じような風習が見られ、また使用した後は、ヒシャクをそのままか或いは柄を抜いて川などに棄てるという(35)。この場合は、喪中の女たちの魂を、水辺にさまよう精霊の類の誘いから、呼び招くための呪法としてヒシャクを使用したものであろう。
  シャクシとかヒシャクに、このような呪的機能があるためであろうか、全国のいたるところで、シャクシで人を招くのを忌むという俗信が伝えられている。しかし、娼婦や遊女たちは、客引きの手段にこれを用いる。客の少ない夜、彼女たちがひそかにシャクシを携えて四つ辻に行き、これで四方を「招く」 と客が来ると信じられていたからである。いっぽう、シャクシで招かれた者は三年以内に死ぬと言われているところもある。これはまったく不思議なまじないだとしか言えない。もっとも、娼婦とか遊女などは「シャクシ」 とか 「ヒシャク」 とも呼ばれていたように、彼女たち自身も 「たま」 の存在だと思えば、それほど不思議なことでもない。
  日常生活においても、シャクシの使用をめぐる禁忌はまだ多くある。例えば、シャクシをなめたり、直かに口に触れたりすると、雨が降ったり、嫁入りの時に犬が吠えたり、病気になったり、「杓子面」 になったりするというので忌まれている。シャクシを飯匙に使う時にも、正しい使用法をめぐるいくつものきまりがある。飯をシャクシの背で盛ると継親にかかると言われるし、また飯の盛りつけは一回の盛りきりにしてはならず、必ず二、三回で盛りつけなければならない。ヒシャクについても同じであり、例えば手のひらを下にして柄を握るのは逆手と呼ばれ、それで水を入れたりするのが忌みきらわれ、またその水は絶対に飲んではならないという。さらに、同年者の死報を聞いた時、ヒシャクに水を汲み柄の方に水を流して飲むとか、葬式のとき左ヒシャクを使うとかいうタブーがいまでも根強く残っている。これらはいずれも、シャクシ・ヒシャクに宿る超自然力による崇りについての戒めであり、またその超自然力をめぐる諸観念のあらわれとみなすことができるであろう。

五、シャクシをめぐるモチーフの輪

 これまでは、シャクシにまつわる民間信仰の諸相について、民俗学また社会学の角度からまとめて述べてきたが、以下は、そのシャクシにかかわるモチーフの相互の関係について分析しつつ、シャクシの性格をまとめてみよう。

 かくて、シャクシは女性であり神であり、女性は神でありシャクシであり、神はシャクシであり女性であると言うことができよう。つまり、シャクシと女性と神との三者は同質のもので、図解のように一つの輪のような循環的関係にある。(図 省略)
  この図解を通して分かるように、三者のいずれにも共通の要素として 「タマ」 が浮かびあがる。つまり、

          ┌─ Aシャクシ――オタマ・オタマジヤクシ   
    タマ─┼─ B女−タマ (俗語として女。例 「いいタマだ」)  
       └─ C山の神−オタマ (霊魂) 

 タマ (霊魂)の宿ったシャクシに具わったさまざまな超自然的な機能は、女性にも神にも、具わっているのである。したがって、女性はシャクシによる主婦権の譲渡式によって、神霊を受け取り、主婦=神に昇格できるわけである。

六、シャクシとヒョウタン−むすび

 ところで、ほかのなにものでなく、シャクシだけにこんな不思議なかつ超自然的な呪力があるのはどうしてなのであろうか。この問題を究明するには、まずシャクシ・ヒシャクの形態から分析しなければならないであろう。
  C・アウエハントは 「ヒシャク、匙、シャモジなどの意味をもつ漢字の「杓」(音読みシャク) は、同じ意味をもつ日本語の 「ヒサコ」 (発音通りに比左古と書かれた)に相当する字として、早くから日本語で使われるようになった……。この形は明らかにそれ (杓子) がヒサゴに起源をもつことを示している」 といい、「私はまず杓子の第二の形である 「柄杓」、特にヒョウタンの形と結びつく水柄杓に注意を向けたい。この場合にも、音読みの 「杓」 が一般に採り入れられたため、この語の派生形(ヒサコ、ヒサゴ、ヒシャク) は必要以上に複雑になってしまった。古い日本語のヒサコの漢字の杓が充てられた経緯が忘れられてしまい、厳密に言えば、接頭語の<ヒ>は余計になったのであるが、(ヒサゴ−ヒシャクの) 発音の上での類似性を保つためにこの<ヒ>が杓の前におかれ、さらにこれに漢字が充てられたのである(37)」と語源的に述べたが、要するに細長いヒサゴを縦にたち割ればシャクシまたはヒシャクになるとまとめてもよさそうである。もっぱら湯、水などを汲む用具のヒシャク (柄杓) の発音について言えば、「杓」 の音読みとヒサコの音がまざったものとか、水の意の女房詞オヒ ヤをさぐる意からできたものとかと言われるが、いずれも各地の方言でヒサク・ヒサグ・フシャグ・フサグなどという (小学館『日本国語大辞典』16) ように、ヒシャクはヒサコとフクベとのつながりが非常に強いことが明確である。
  語源から見ても、形態から見ても、人類はむかしからヒョウタン (日本語ではその形によつてヒョウタン、ユウガオ、ヒサコ、フクベなどに分けて呼ぶが)を割って、そのくぼみをシャクシ、ヒシャクなどに利用したに違いないし、また現在でも世界のいたるところで使われているのも事実である。日本では、宮島のシャクシに代表されるように確かにヘラ状の木製のシャクシを長く使ってきたが、しかし、弥生時代のものと判定された、ヒョウタンを縦に切り、下の半球形にふくらんだ部分の中身をくりぬいたシャクシが群馬県日高遺跡から発見された(38) ので、やはり加工にあまり技術の要らないヒョウタンのほうが木製のものより先だと思われる。今のシャクシ、特に飯を盛るシャクシは、木製、竹製ないし合成樹脂製のものであったり、また必要によっては形も平たいものであるが、むかしは、頭の部分がくぼんで背が丸く、まさにヒサコを縦にたち割った形であった。ヒシャクにしても、今は頭の部分に差し抜きの柄がついているのが普通であるが、これは例えば、高いところから水を汲むための便利をはかった結果であろう。柄のついていない家庭用のヒシャクを見れば、これは 「首のあるフクベ」 に由来する形に違いない。ヒサコ、フクベ=ヒョウタンを縦に割ると、その形からして自然に柄の部分ができるのである。この発展過程を考えるとき、シャクシとヒシャクが民間信仰のなかにおいて果たしている不思議な役割と、もっている超自然的な呪力の親元が求められることになる。(図4 省略)
  ヒョウタンは、ウリ科の植物の一つとして少なくとも紀元前一万年前から人類の生活に深く結びついてきたことが、現在の考古学の研究によって分かっている。この長い歴史のあいだ、ヒョウタンの実は、食用・薬用として、運搬道具・生活容器とか用具・農具・漁具・服飾品・楽器などとして広く利用されてきた。瓜わたを抜きとったその内部が洞穴や子宮と同じように、閉鎖的でうつろな空間であり、なればこそ、それは何かを生み出す自然の霊力を有し、同時に何かを容れる容器としての文化的機能をも持つ(39)。したがってこのヒョウタンをモチーフとする神話や伝説は世界中くまなく分布し、儀式や儀礼、呪術などにも広くかかわっているのである。ヒョウタンから生み出されたもので特に有名なのは、中国西南の少数民族のあいだに伝わる犬祖神話に出ている盤瓠であろう。かれがヒョウタンの中で犬に生まれ変わったため、かれを先祖としているリー族はいまだに祖霊としてヒョウタンを供えて祀っている(40)。中国の人類再造神話に出た伏羲と女[カ]の兄妹もヒョウタンの化身(41)とされているし、朝鮮の始祖・赫居世も卵から生まれたがその卵がヒョウタンのようだったので、かれは朴 (パク、ヒョウタンのこと) を姓とした。日本の昔話で、例えば 「金七孫七」 (岩手県) にはヒョウタンから童が生まれて、ヒョウタンのなかからご馳走を取り出したり、「雀報恩の事」 にはヒョウタンの中から米とか万の虫が出たりするような不思議な話が数え切れないほどある。ヒョウタンによって収められるものには、『西遊記』第三十三回から三十五回におけると金角・銀角との戦いで、ヒョウタンの中に吸い込まれる孫悟空が有名であるが、それは、石から生まれた孫悟空が五行山の岩のすきまに閉じこめられ再生の機を待ったモチーフと同様に、ヒョウタンもまた再生のための洞窟だったからである。もともとヒョウタンの中に収めてある霊力が顯霊し、ヒョウタン二個で河童を、三個で大蛇を鎮めたり (「日本書記」)、ヒョウタンと針で娘を助けたり (「蛙報恩」)、あるいは 「鯰絵」 にみられるようにヒョウタンで地震鯰を押さえたりするような話が多くあるように、呪的生殖力を発揮して何かを生み出すほうが、何かを収めるほうより重要視されているらしい。
  実際、このような不思議な閉じられた 「うつぼ」 の内部世界から出発して、ヒョウタンの同義語たるフクベを もって腹部または女性性器ということもある (小学館『日本国語大辞典』17、三三一頁)。もっとも、この場合は、腹部のフクブとの音の近似性から生まれた盗賊の隠語である。マリ共和国バンバラ族の社会では、ヒョウタンは重要な栽培植物であると同時に、生活に欠かせないいろいろな容器、器具の源であるが、その容器、器具がひび割れたり壊れたりした場合つくろうのが女の仕事で、割れ目のはいったヒョウタンをつくろう行為が、女性の失われた処女膜を回復する行為と見なされている(43)。中国雲南辺境にあるワア族のあいだでは、ある「シガンリ」 という洞窟を人類の発祥地として拝むが、「シガンリ」 の 「シガン」 とはヒョウタンであると同時に女性 の性器の意味でもあるので、「シガンリ」崇拝はすなわち女性性器崇拝である(44)。さきに述べた洞窟とヒョウタンの近似性がここにもよくあらわれている。こうして見れば、ヒョウタンにはどれほど生命が潜められているかがわかる。
  さらに、日本の民間信仰ではヒョウタンは霊の容れものであると普遍的に認められている。例えば遠野地方では、死者の魂を家に迎えてくる日といわれる盆の魂迎えに、いわゆる新仏の墓の上にヒョウタンを置いて新仏の身代わりにしてやる(45)。また、丹後峰山近くの四つの神社では、「ささはやし」 とよばれる八月二十六日の儀式で、長いヒョウタンを笹で包み竹に差し、赤青白の紙でその竹を包み、七八人の子供の太鼓の囃しのなかでこれを持って練り歩いたという。これは外形が人に近いために紙の衣を着せ、内部が 「うつぼ」 なるために神霊が宿ると見たものであるらしい(46)。この「うつぼ」 のヒョウタンが首とか腰にさげられ、その造花が相撲の力士 につけられ(47)るのは、それをお守りにしているに違いない。
  ヒョウタンに秘められているシンボリズムについて論述しようとしたら膨大な量になり、ここで展開することができないし、また必要もないので、この程度で止めておくが、しかしこれだけでも、ヒョウタンがいかに超自然的な霊力を有するか、またその霊力がいかにシャクシのそれと一脈同然であるかが分かるだろうと思う。いうまでもなく、ヒョウタンの霊力はその内部の「うつろ」性つまり「うつぼ」性を源とするが、「ヒョウタンの子」としてのシャクシ(ヒシャクも同じ) にももちろんその「うつろ」性なり「うつぼ」性を持たなければならない。うつろ舟に乗つて異界から訪れるのも女であった(48)。それがシャクシの「くぼみ」である。その「くぼみ」こそ、ヒョウタンの霊力を宿し、またその役割を担って演じているのである。