現代日本に於ける仏教と社会活動(Buddhism and Social Action in Contemporary Japan)

Kenneth Kraft(ケネス・クラフト) リーハイ大学宗教学部助教授

はじめに

 本日は、現代日本に於ける仏教と社会活動についてお話したいと思いますが、先月の講演者は、五ページにわたる印象的な資料を配布され、四十八ものテクストの引用と十の画像を用意されましたが、私は皆様にお配りするものを持ち合わせておりません。これは禅宗本来のやり方ですね。私のこの研究はまだまだ取り掛かったばかりですので、成果よりも疑問点の方が多い段階です。したがって今日のこの機会に、皆様方からのご意見やご指摘を頂戴したいと思っております。また、「社会活動」という言葉で題をつけさせて戴いておりますが、これは、social engagementという言葉の意味でお聞き願いたいと思います。日本語の「社会活動」より少し広い概念で、社会と関わること、社会的な問題に携わることを意味します。この「社会活動」ということを仏教と関連させた場合、潜在的には、悩めるティーンエイジャーへの僧侶のカウンセリングから、仏教の救援団体によるビルマ難民の救援活動まで、大変広い範囲の現象を覆います。仏教団体による多くの伝統的な活動−−説教や法事、葬式など−−も、勿論、仏教と社会との関わりの一形態です。さらに、読経や一人っきりでの瞑想でさえも、伝統的な仏教の考え方に基づいて非二元論的に解釈するなら、基底のレベルで世界に影響を及ぼしていると想定できるのです。しかしながら、この広範な枠組みの中で私が最も関心を抱いておりますのは、意図的に外に向かってなされる社会的ないし政治的な活動形態なのです。すなわち、地元でリサイクルのキャンペーンを組織する僧侶の方が、人間と自然の一体性について説教する僧侶より、私の関心を引くのです。もちろん、共に正当的な活動なのですが。また、仏教と社会活動について研究する場合、「仏教」という言葉が意味している内容を再検討する必要があります。しかし、この問題はこの場で取り上げるには大きすぎるようです。本日話題にいたしますのは、日本仏教の既成教団、とりわけ、浄土宗、浄土真宗、禅宗、そして日蓮宗などですが、折にふれて立正佼成会のような仏教系の新興宗教にも言及することになると思います。

社会活動の分類

 まず最初に、概観した上での一般的結論は、現代の日本の仏教界はそれほど社会に関わっている訳ではないというものでした。皆さんも御存知の通り、既成教団に対して「葬式仏教」という蔑称が投げつけられることがありますが、これはある意味で正しいのです。既成教団はその慣習となっている行事を執り行うことに甘んじて、自らの宗教団体を維持存続させることに汲々としております。確かに、日本の仏教者たちが共通の活動方針に賛同することがない訳ではありません。しかし、それは最も議論を喚起しそうにないたぐいのプロジェクト、例えば世界平和会議ですとか、現在のネパール国内にある釈迦牟尼の生誕の地に建物を建てるといった計画なのです。一般的に言って、日本仏教は社会活動に携わってはおりませんが、特定の分野に限って見ますと、僅かではありますが幾つかの活動を見出すことができます。これらの片隅の活動は、その構成や目的、展望に於て大変広範にわたっており、きちんと類別することは困難です。が、取りあえずの措置として、それらを四つのレベルに分類することに致します。すなわち、個人と、地域と、国家と、国際のレベルです。もちろん、これらのレベル間の境界は明確なものではありません。ある僧侶が個人でスリランカへ行き、孤児院で働いたとしましょう。この場合、個人と国際の二つのレベルが関係します。あるいは、当初は地域的な運動であったものが、しばしば国家的問題や国際的問題と取り組むようになります。そして、国際的に活動している組織も、国内からの支援なくしてはありえません。

個人レベルの活動

 大きなグループに参加せずに、個人レべルで社会活動に携わっている仏教者が、少しずつではありますが生まれてきております。奈良には東南アジアの難民のために定期的に一人で托鉢をしているお坊さんがおり、彼はある時はビルマの難民のために奈良駅で終日一人で募金活動をしました。福知山の禅宗寺院の若い住職は、日本で勉強することを望んでいるビルマの僧侶が文化ビザを取得できるようにと、舞台裏で入国管理事務所に掛け合っています。名古屋の真宗の住職は、インドの困窮している農民たちを様々な方法で支援しております。すなわち、学校の新設のための募金活動をし、九人の若者をインドに連れて行って当地の下層農民と共に働き、インドの学生を一人自分の寺に置いて保証人になったりしました。

地域レベルの活動

 個人レベルの活動に関しましては、まだまだ幾らでも例を挙げることができますが、地域的なレベルに目を移しますと、日本中、小都市のほとんど、大都会の全てで、多様なグループやプロジェクトを見ることができます。そのメンバー構成も僧職者と在家者の割合によって様々です。多くの場合、僧侶はそのグループの活動目標を支持して、自分の社会的地位を利用して便宜を計ったり、建物を提供したりしています。これらの活動の最初の発案者が僧侶自身である場合もありますし、寺院の壇信徒である場合もあります。あるいは寺とは関係のない、その地域の活動団体である場合もあります。具体例を挙げさせていただきますと、京都の有名な浄土宗の寺院である法然院の若き住職は、幾つかの環境問題について活動を始めました。関西地区の環境問題と取り組んでいるグループと協力して、京都東山の営利的な開発に反対してきましたし、関西に新たに原発を建設することに断固として抵抗しております。また、彼は自然研究会を主催し、月に一度勉強会を開いたり、小学生たちに環境問題を手ほどきする講習会を開設いたしました。だからといって、法然院はその本来の関係者たちに対しておざなりになっている訳ではありません。檀信徒や法然の墓所にお参りにくる各地の信者、そして観光客たちもおります。この住職はまだ三十三歳ですが、日本の若い僧侶の中の新しい一つのタイプを代表しております。彼らは急速に責任ある地位に就いており、この体制内で働く意味を理解しつつ、同時に別の社会的課題を追求しております。京都市南部の浄土宗の寺院、道澄寺の住職は、お寺の外観を喫茶店のように改装して、映画フィルムを上映し、講師を招き、寺院を若者の集う場所として解放しました。彼はこう言っています。「もとどおりの伝統的な様式にすると、膨大な費用がかかってしますということもありましたが、それ以上に既存のお寺のイメージを取り除こうと、思い切り現代風にしたのです。お墓とか法事とか、人とお寺のかかわり方はごく一部分に限られてています。それをもっと全体的にかかわりたい。そのためには、目に見えるものを変化させることも必要ではないかと思われます。」と。名古屋の精力的な真宗の住職は、多くの地域的プロジェクトに参加しております。彼は名古屋地区のタイから移民した人々が日本の生活になかなか適応できないことを知ると、タイの若いソーシャル・ワーカーが来日できるよう手配し、彼のお寺に住まわせ、移民した人々の手助けができるようにしました。また彼は、広島の被爆者が宗教はなぜもっと核兵器に反対しないのかと問いかけていることを聞いて、名古屋の電話帳で全ての寺院の住所を調べ挙げ(およそ一六〇〇件)、各住職宛に手紙を書き、宗派を越えて平和について話し合うよう招待しました。その結果生まれたグループは、広島と長崎に原爆が投下されたその時刻に鐘をつくよう、名古屋の全寺院に呼びかけました。およそ百あまりの寺院がこの行事に参加し続けています。僧侶のグループがある特定の目的を掲げて公式の組織を作るのは、また別のタイプの地域的な活動です。京都仏教青年会がこの好例です。この会はおよそ四十人の仏教僧侶で構成されております。「青年会」という名称ではありますが、関係者の大半は自分の寺院の住職を務める五十代から六十代の人たちです。宗派関係は既成の各教団に広く跨っており、浄土宗(十三名)、臨済宗(八名)、天台宗(五名)、曹洞宗(四名)、真宗(三名)、法華宗(三名)、日蓮宗(二名)、真言宗(一名)という割合になっております。五年前に会が始まって以来、青年会は老人や重篤の病人の要求に活動の焦点を合わせてきました。メンバーの主要な活動は、病院や老人ホームを訪れ、そこで病人や医者や看護婦と話し合うことです。会はまた月に一度セミナーを開き、医療関係者の最新の関心事を話題にします。メンバーの一人が次のように私に語って下さいました。「日本人は一般に、病院で僧衣を見かけることを嫌います。というのも、何か葬式に関連したことで僧侶がそこにいると考えるからです。でも私たちは、病に苦しんでいる孤独な人々の何人かでも、その人たちの力になり、慰め、楽しませるためにそこに行っているのです。私たちは特定の宗派に改宗するように勧めたりなどしません。老人は既にどこかに所属しているものです。でも、宗教が話題になった時には、私たちは喜んでそのことについて議論します。」と。彼らは国家的あるいは地域的な課題すら、新たに自分たちの現在の課題に付け加えようとはしておりません。ただ、青年会のメンバーの一人がアメリカで"grief-work"と呼ばれているセラピーの一形態を始めました。これは、損害を被ったり個人的な悲劇で悲嘆に暮れている人々のための、自由参加のワークショップです。しかし青 年会のメンバーの大部分は、会の当初からの活動形態に満足しております。確かに、各自のお寺にお互いを招待しあうということで、宗派間の交流という機能も果たされてはおりますが、彼は青年会の中に、例えばgrief-workのような新しいアイディアに対する関心が生まれることを期待しております。次に、在家の仏教信者が指導的役割を果たしてきたグループがあります。京都に基盤を置くFASというグループがその一つです。日本語でもエフ・エー・エスと言うのですが、この略語は「分割できないものとしての、自己と、世界と、歴史」を意味しています。このグループは、一九四四年に、久松真一(一八八九〜一九八〇)によって創設されした。当時、久松真一は京都大学の仏教学の教授だったのですが、それよりも在家の禅の師匠として尊敬を集めるようになりました。FASの教えは、精神的修行と、学問と、社会的関心との三者の均衡です。一九五一年に彼らは「人類の誓い」と題された文章を公表しました。次のようなものです。

私たちは よくおちついて 本当の自己にめざめ
あはれみ深い心をもつた人間となり
各自の使命に従つてそのもちまへを生かし
個人や社会の悩みとそのみなもとを探り
歴史の進むべきただしい方向を見きはめ
人種 国家 貧富の別なく みな同胞として手をとりあひ
誓つて 人類解放の悲願をなし遂げ
真実にして幸福なる世界を建設しませう

 しかしながら久松の没後、この会はリーダーシップの不在に苦しんでいるように思われますし、一握りのメンバーが週に一度座禅と話し合いのために集まり、年に二回、五日間の修練の会を開いております。この会が立てた目標の一つが「新しい歴史の建設」であるにも拘らず、今や政治的・社会的活動から後込みをしているのです。久松の掲げた理想が如何に創造的であり、革新的であったにせよ、彼が巣立たせた運動は、今や遺憾ながら完全に臨済宗の本流の中に取り込まれております。今まで申し上げたことを簡単に整理してみましょう。私は地域的活動のレベルで幾つかの事例を取り上げました。法然院の住職は環境問題に携わっておりましたし、もう一人の京都の住職は自分のお寺を若者たちに開放しました。名古屋の住職はタイのソーシャル・ワーカーを援助し、広島と長崎の被爆に因んで反戦のための行事を始めました。京都仏教青年会のメンバーは病院でボランティア活動を行っていますし、FASのメンバーは座禅と社会的自覚とを結びつけようと試みております。お分かりのように、これらの人々やグループの目標は極めて変化に富んでおります。皆さんは、これらの成果はたいして目ざましくもないし、興奮させるようなものでもないと思われるかも知れません。あるいは、こんなものを報告する価値が一体あるのだろうか、といぶかしんでおられるかも知れません。私自身、プラスとマイナスの両方の面を見ております。つまり、いま行われていること自体は賞賛したいのですが、同時に、それで充分だとも思っておりません。

国家レベルの活動

 国家的レベルと申しますのは、扱う課題そのものが本来的に国内の問題であり、それが国家的スケールで働くことをもくろんだ運動のことです。このレベルに関しては、西洋的見地からすれば、二種類の活動を予期するものです。すなわち、一つ目は既成の宗派によって組織されるか、あるいは援助されている改革運動です。二つ目は既成教団を拒否し、あるいはそれに挑戦する草の根的運動です。しかし、実際は宗派が援助する運動は僅少で すし、国家的広がりを持った草の根運動は事実上皆無です。既成の仏教教団の中で、取り上げる価値のあるものが二つありますが、ともに真宗大谷派(東本願寺)と関係があります。一つは真宗同和推進本部です。この名称は「同和」という言葉に馴染みのない人に取っては曖昧なものに響きますが、その活動内容は明解です。すなわち、日本人社会全体に蔓延している被差別部落民に対する差別と取り組んでおります。そして部落民のおよそ八〇パーセントは真宗の門徒であると見積られています。
 日本の過去の歴史に於て、宗教はそのような偏見をくじくというよりも、寧ろ助長する傾向にありました。例えば江戸時代には、僧侶たちは被差別部落民に対して偏見を補強するような戒名を与えました。一九二〇年代には、真宗内部でそのような差別に向けて幾つかの努力がなされましたが、反差別運動が重大な関心を呼ぶためには、一九六九年を俟たねばなりませんでした。この年、大阪の難波別院で一人の僧侶が差別的な言動をし、この発言は解放同盟からの糾弾を引き起こしました。今日でも、この糾弾という方法は同和運動を進めている解放同盟の主要な方法です。東本願寺にある同和推進本部には十人の常勤のスタッフがおり、真宗の僧侶のために月例のセミナーを開き、何種類かの定期刊行物を出版しております。このプログラムの目的は、自らが受けている批判を超克することにありますが、真宗教団の内部ですら、その影響力がいかほど及んでいるのか、明瞭ではありません。関係者の一人はこう言っています。「こういった差別糾弾を受けた教団は何も真宗大谷派だけではないのですが、たいていの場合、『けっして差別する気はなかったのだが、不注意で申し訳ない。今後はこのようなことをくりかえしません』というふうに表面上は恐縮してみせていても、本当は腹の中で舌を出している。差別体質が明るみに出て糾弾を受けたのは不運だった、というぐらいにしか考えていないことが多いのです。」と。ちなみに申し上げますと、既成の仏教教団は日本に存在する他の多くの被差別者のグループの人権問題を真剣に取り上げてはおりません。すなわち、在日韓国人、アイヌ人、外国人労働者や移民者、障害者、そして女性たちの問題です。さて宗派が援助している国家的規模の活動の二つ目の例は、真宗大谷派の片隅でもっと不安定な位置しか持っておりません。これは日本の軍国主義や国家目的に宗教を利用することに反対するものです。もう少し具体的に申しますと、靖国神社に行政が恩恵を与えること、新天皇の即位式に感じられる宗教的な色彩、そして大嘗祭に公金を充てることに反対しております。京都に基盤を置いておりますが、「真宗大谷派反靖国全国連絡会」というのがその正式な名称です。この会は「兵戈無用」という会報を出版しております。この名称は『大無量寿経』の一節から取られたもので、この言葉によって軍隊と兵器の廃絶を訴えているのです。仏教者の別のグループと比較すれば、反靖国と協調しているメンバーは斬新な思想を打ち出しております。少なくとも言論の上では、彼らは現存の権力構造に挑戦し、「菊のタブー」、すなわち天皇に関する禁忌を公然と無視しています。この会のリーダーの一人が人々の会に対する反応について正直に述べております。「実は、こうした信教の自由や政教分離のたてまえからの反靖国の論理と運動は、今日にいたるまでほとんど成果をあげなかったのではないかと思われる。戦争で死んだむすこのために天皇や総理大臣に靖国に参ってもらう、それが自分の「真宗」の信仰の自由を犯すことになるなんて考えられない。」と。また、この会は愛媛や大阪、その他の地で靖国問題を法廷に持ち込んでいます。が、依然として彼らの過激論には限界があります。例えば、別の国の仏教の活動家たちとは違って、彼らは良心の名に於て、例えばガンジーやアンベードカルのように、非暴力的な市民的不服従の行動を起こすなどといったことはありません。

国際レベルの活動

 さて次に、国際的レベルの活動について見てみましょう。国際的な開発事業の分野で民間の組織の目録を調べてみますと、十二、三の仏教関係の団体が活動していることが分かります。これらのうち、半数近くを新興宗教が運営しております。例えば立正佼成会は平和基金や庭野平和財団を通じて、昨年度だけで二億二千万円をアジア・アフリカに対する救済計画、様々な国連の救援団体、そして日本の関連事業に寄付しております。立正佼成会はまた、World Conference on Religion and Peace(世界宗教者平和会議)ですとか、International Association for Religious Freedom (国際自由宗教連盟)のような異なった宗教に跨る組織の重要なスポンサーでもあります。新興宗教は現在の所、私の研究の主な対象ではありませんが、彼らの経済的にも潤沢で、しかも異種の宗教との交渉にも積極的な活動は、既成の諸宗派の国際的な活動に対する冷淡さと好対照を示しております。国際的に活動している日本の仏教者による救援団体は幾つかありますが、個人会員を基礎とする組織は五つ だけです。そのうち四つは、年間予算二千万円以下で活動しております。注目すべき残る一つは、曹洞宗ボランティア会(Sotoshu Volunteer Association(SVA))で、海外ではJapan Sotoshu Relief Committee(JSRC)(曹洞宗東南アジア難民救済会議)として知られております。この組織は、一九七九年のカンボジア危機の高まりの中で、カンボジア難民の救済を目的として設立されました。そのとき以来、この会はバンコクのスラムの住人やタイの貧困農民など、別の難民のグループにもその救援対象を拡大してきております。宗教に基盤を置いた幾つかの国際救援組織とは違って、SVAは如何なる布教活動もしようとはしておりません。というより、寧ろそこに暮らす人々の固有の文化を育むことを重視し、それを援助しているのです。現在、SVAは、一三〇〇人の個人会員を擁し、年間予算はほぼ二億五千万円となっております。曹洞宗からは独立した組織でありますが、その多くを日本中の曹洞宗の僧侶や信者の支援に頼っております。組織の持つ優先順位が、その活動のスタイルに反映しております。すなわち、収入の八〇パーセントが個人の寄付や補助に基づいており、東京の事務所は書庫の上の狭苦しい一室です。会で働く五七人の事務員のうち、四五人は海外で活動しており、しかもその殆どが東南アジアの出身者です。会の設立以来、ずっと二人の禅僧が指導的役割を果たして来ております。有馬実成と松永然道のお二人です。有馬は山口県の寺院、原江寺の住職です。五〇〇軒の檀家に対する責任を果たしながら、彼はそれでも週に四日の東京行きを工面し、しかもしばしば東南アジアへ出かけております。SVAの月刊の会報「地球市民」の最近の号で、有馬は会の目的を解説しております。それは、社会に関わっていく日本仏教についての国際的な視野を持った簡明な解説です。次のように言っています。

我々はSVA《地球社会》を構築し、自らを《地球市民》として意識改革していくための運動体にしていきたいと思う。勿論、この地上にはその運動の前に立ちはだかる様々な厄介な問題が山積していることを承知している。これの解決にどう努力するか、 それが我々に課せられた課題となる。その一つは、南北問題である。北側先進国と第三世界の国々との間の落差の問題である。とめどもなく巨大化する世界経済は第三世 界の国々を圧倒し、貧困を加速化させつつある。(中略)我々は南の草の根の人々と共に連帯し、また、日本の問題として市民と共に開発協力に今一層の推進をしていかねばならない。二つには、人権の問題である。世界には今なお大勢のいわれなき差別と抑圧に苦しむ人々がいる。(中略)我々はそれを認めることはできぬ。我々は人権の視点を活動の座標軸の基準におきたい。三つには、地球環境問題である。この問題は正直に言って我々には新しい問題であり、これから取り組みのための学習を始めねばならないが、(中略)次の世代にも美しい地球に生きる権利を譲り渡していく責任があるのである。

理由は何であれ、SVAは極めて低い扱いを受けています。この会は仏教関係の進歩的なサークルにすら、事実上知られておりません。スタッフの一人は次のように言います。

 それ相応の援助さえ受けることができたら、SVAの活動は十倍に拡大することができるのです。確かに、会員数は一三〇〇人にまで増えてきています。しかし、曹洞宗の寺院が一万五千寺あることを考えてもみて下さい。

さて、最後にご紹介する国際性を志向しているグループは、仏教者国際連帯会議の日本支部です。このグルー プの本部の活動について、先ずご説明しましょう。英語ではInternational Network of Engaged Buddhists、す なわちINEBとして知られております。この会は一九八七年にタイの仏教者、知識人でもあり、活動家でもあるスラク・シバラクシャ(Sulak Sivaraksa) によって設立されました。バンコクにある小さな事務所がその本部 です。

INEBは固定的な中心メンバーというものを持ちません。従って、指導者レベルでの折衝というよりも、寧ろ草の根的「ネットワーク」を構築することを尊重します。三年前に創設されて以来、INEBはスリランカに紛争調停団を派遣し、ビルマ難民のために危険を孕んだジャングルの中で秘かに高等教育を施し、暴力的手段に訴えない政治活動の方法論を身につけさせるよう努め、数々の国際会議を組織するなど、様々な活動を行ってきました。この組織の日本支部はINEB-Japanと自称しており、主な参加者は日蓮宗と真宗の僧侶ですが、様々な宗派からも参加者がおり、愛知県のある寺院が日本支部の事務局となっております。十人強のメンバーが常時活動しており、彼らの主な機関誌(日蓮宗の系列下にある「大海」という月刊の機関誌)は、一二〇〇部発行されております。会のメンバーは、苦しんでいる人々のことに心を砕き、その人たちのためにより多くの日本人がより一層努力すべきであると考えているのです。この心情が「大海」誌上に次のように吐露されております。

タイの売春問題は日本とのつながりが深く、日本へのホステス出稼ぎは、フィリピンからの数をこえたと 聞く。タイの仏教界が女性問題を避けて通ってきたことも問題だが、日本人男性の売春問題を放置してきた日本の仏教界も同罪である。(中略)逼迫した女性たちの苦しみと嘆きに反応できず、観念的な教学や信仰が語られる寺院の教化活動は 、タイや日本だけではなく、仏教国全体のような気がする。女性問題は裏返せば男性の意識の貧困である。

 さて、INEB全体の中で日本の代表団は幾つかの点で独特です。先ず第一は、日本の代表団は行動的であるということです。他の国のINEBのメンバーがまだ議論を重ねている段階で、既に実際行動を起こしてしまっているほどです。例えば、彼らは去年バンクラディッシュの仏教徒に対する残虐な迫害について、日本の大衆を啓発し、政府を動かすためのキャンペーンを組織しました。ごく最近では、INEB-Japanはビルマの難民を支援し、ビルマの圧制的な軍事政権に日本から圧力を加えるために運動しております。第二点は、会員相互の関係の親密さです。他の国のINEBのメンバーは組織とは緩やかな関係しか持たず、グループの一員としてではなく、主体的な個人として活動します。それに対して、INEB-Japanは本当に単一のグループです。メンバーは共通のヴィジョンを分けあい、仲睦まじく一緒に働きます。INEB-Japanの顕著な特徴の第三点として、彼らは社会活動に携わる仏教者の国際的なネットワークの中で孤立する傾向があるということです。相変わらず言語上の障壁は深刻な障害であり、日本人仏教者の中で最も「国際的」な人々の中にあってさえ、英語に堪能な人はただ一人です。しかも、この言語上の孤立は時に日本人の文化的特質によって助長されます。例えば、日本人は何かというと群れたがりますし、公的な場所で発言することをためらいます。あるいは、別の種類の仏教理解と直面した時に、尊大さを露呈します。確かに、INEB-Japanには幾つかの弱点がありますが、メンバーは日本仏教のあるべき姿を指し示している誠実なパイオニアたちです。より多くの人々に語りかける方途を見出すことができさえしたら、彼らは大きな影響力を持つことができるに違いありません。

四人の例

 社会活動に携わっている日本の仏教者に関しては、まだまだ沢山申し上げなければならないことがあります。彼らのバックグラウンド、彼らの既成仏教批判、あるいは未来に向かっての希望などなど。しかし、ここでは、簡単に四人の方に絞って紹介させて頂きたいと思います。丸山照夫(五十七歳)は東京在住の日蓮宗の僧侶ですが、信者を抱えてはおらず、評論家として活動し、かつINEB-Japanの指導者の一人でもあります。彼は六、七冊の著書をものしていますが、『日本をダメにした名僧・悪僧・愚僧』が最もよく知られていると思います。彼は日蓮宗の大本山の末寺の子弟として育ち、青年期になると、戦争と平和の間を急速に揺れ動くイデオロギーによって混乱させられました。すなわち、第二次大戦の間は戦争の遂行を支持するよう教育され、占領下では平和と民主主義を尊重するように言われ、ついで朝鮮戦争が勃発しました。自分自身の立場を確立しようとして、彼は朝鮮戦争に反対する運動に参加しました。彼の周囲にいた日蓮宗の僧侶たちは反発し、彼を共産主義者と誹謗しました。丸山は言っています。「ともあれ私は既にそのラベルを貼られたのだから、それが意味するものを知ろうと決意し、高校三年の時に共産党に入党しました。」と。彼は大学の卒業年次まで党員でした。丸山のバックグラウンドの中で、宗教と政治の要素は、彼の精神革命への呼び掛けや仏教僧侶に対する歯に衣着せぬ批判に見ることができます。最近行われたパネルディスカッションで、彼は次のように述べております。

日本の仏教のお坊さんたちは眠りこけてしまっている。はっきりいってお寺の中に安住していて、(中略)職業といいますか、それによって生業を立てているという職業的・専門職としての自覚さえも明瞭に持っていないんじゃないですか。ですから、強力な揺さぶりをかけて一回衣を剥ぎ取らないと、目覚めようがない、そういう感じがします。(中略)十年なり十五年の間、教団改革の夢を見ることもたぶんできないだろうと思います。そういう意味で改革についてはほとんど絶望しております。あきらめたところから、あらためて出発せざるを得なかったということです。最近の私の考えは、日本仏教全体をトータルな意味で環境を変えなきゃだめだということです。

 有馬実成(五十四歳)は、すでにご紹介しましたが、曹洞宗ボランティア会の事務局長を努める徳山市近郊の原江寺の住職です。彼もまた寺院子弟として育ちました。一九四四年有馬が九歳の時、父親が中国で死亡しましたので、彼が学業を終えるまで、祖父が住職を務めました。祖父が八十四歳で亡くなった時に、有馬は二十二歳で住職となりました。有馬は少年の頃、地方工場で朝鮮人が強制的に働かされているのを見ました。でも彼にはどうしても理解できなかったのです。「なぜ彼らはあんなに酷く食い物にされているのだろう?」と。次いで大戦の間、その工場は爆撃の目標になりました。彼の寺にはほとんど連日、死体が運び込まれました。有馬には不思議でした。「日本人の死体はなぜ朝鮮人の死体より丁寧に扱われるのだろう?」と。彼は巡査に聞いてみました。その答えを彼は今でも思い出します。「あれァ、ヨボじゃけえのう。」(「ヨボ」は、朝鮮人に対する蔑称です。)このような経験は、生涯を通じて人間の間、国家の間の障壁を打破ることへ傾倒していく種を、有馬に植え付けたのでした。彼は書いております。「人と人、国と国とが言語や文化やイデオロギーの違いを越えて相互に尊敬され、国境や国家を越えて共生し、個々の尊厳性とアイデンティティが保証されるような、そんな時代であらねばならないと考える。」と。次に、戦後生まれで、しかも戦後の窮乏状態の記憶を持っていない若い世代の仏教活動家から、お二人の例を挙げさせて戴きます。成田大航(三十五歳)は京都府の北西部にある福地山市の曹洞宗の寺院、円覚寺の住職です。寺院の子弟ではありませんが、若い時にアメリカの禅センターで一年間修行する決心をします。彼はセンターで僧侶になるつもりもないのに禅の修行に励む何百人ものアメリカ人と出会い、彼らの熱意に打たれます。彼は自分が社会活動に関わっていった契機を、次のように回想しています。「アメリカの禅センターにいった時に、救世軍の活動に興味を覚えたのがきっかけです。日本へ帰って来てから、仏教の教えを現代社会で実際に生かしていくにはどうすればいいのか考えていた時に、あるお寺でJSRC(曹洞宗ボランティア会)のポスターを見て参加を決意しました。タイには八十年の十月から八三年の十二月までいました。」と。成田はこうして曹洞宗ボランティア会の最初の現地ボランティアの一人になりました。彼はまた、タイで三年を過ごす間に、当地の仏教で出家しました。帰国してから曹洞宗で再び得度し直し、永平寺の僧堂で一年間修行しました。彼は寺役や家庭人としての務めに加えて、SVAや他の運動に関わり続けています。例えば、彼の寺は骨髄バンクに登録することによって白血病患者を救う新しい運動の事務局になっています。成田は、仏教者の社会活動がより大きく育っていくとこを望んで、次のように言います。「こういった活動を他の人に伝えていくことは、本当に難しいと感じています。逆にこれはものすごく大切なことなんだという気持もあります。初めからそうだったんではなく、やはりタイでの活動を通して、自分の中で変革が起こってきたためなんです。」と。さて、寿台順誠(三十三歳)は石川県小松市選出の社会党議員である、正敏の秘書です。名古屋の真宗寺院の次男坊ですが、反靖国運動や同和運動に大変熱心な人です。彼が二十代の頃、真宗大谷派の保守派と改革派との間の緊張が高まり、彼の家族の中でさえ、日毎に対立があらわになりました。寿台の父親は保守的なグループである興法議員団で活動しており、一方寿台は仏教青年同盟に所属しておりました。寿台自身が当時の事情を述べておりますので、引用しましょう。「興法議員団対大谷派仏教青年同盟というような教団の対立が、そのまま寺の日常となったような数年を経て、その最中に父親がガンで亡くなった。それは私にとって全くかけがえのない日々であったが、また同時にやりきれぬ日々でもあった。が、病気の父とまるでカタキのようにしてやり合ったのも、ひとえに寺が変わると思ったからであった。」と。他の若い仏教活動家と同様に、寿台も社会改革や仏教改革に身を投じました。彼が社会党政治家と密接な関係を持っているのは、意見の一致などという以上のものをはらんでおります。彼は勇敢に年上の世代と対立しております。それが如何に苦渋に満ちたものであるにせよ、これは来るべき時代の予兆なのです。

おわりに

 そろそろまとめに取り掛からないといけません。私は社会に関わっていく仏教に関するこの予備的な調査で、仏教者を実際活動へと突き動かす多様な課題に注目してきました。環境問題、核兵器・原子力(発電)、人権、婦人問題、第一世界と第三世界の間に横たわる問題、東南アジア及び南アジアの難民や孤児、他の国々での仏教者への迫害、天皇制、政治と宗教との融合、などなどがありました。これらはその課題の性質に関しても、またかかわり合い方のレベルに関してもまことに様々ですので、私と同様、仏教者自身、その課題の重要度に順位を付けることは困難です。また、他の国々の仏教者が深い関心を抱いているにも拘らず、日本の仏教活動家たちはまださほど真剣に考慮していない課題が多く存在しております。例えば、構造的な経済的搾取の問題、大量消費と資源のムダ使い、妊娠中絶、ターミナル・ケアー、動物保護のような問題です。私は「社会に関わっている仏教」という言葉を日本と関連させて用いてきましたが、今や、その言葉によってある一つの統合された運動を意味して使っている訳ではないことを、お分かり頂けたことと思います。この「運動」(movement)という言葉ですら、時期尚早なのかも知れません。これらの多様なグループを統合する包括的組織は存在しません。広範な支持層を持った指導的活動家も存在していません。あまつさえ、幅広い読者層を獲得した感化力を持った書物すら存在しておりません。私は繰り返し驚かされました。活動に参加している人々の大多数は、別のグループの活動を知らないのです。グループとグループの間、そして人々の間を繋ぐ本当の意味でのネットワークが存在していないことは言うまでもありません。ほとんどの場合、仏教者の社会活動は既成教団から無視され、あるいは陰湿に妨害されております。そして皆さんもご存じの通り、いわゆる一般大衆は私がいま述べて参りましたような事柄に関して無知であるのが現状です。本日私が取り上げて参りましたのは、社会問題に対する仏教者の対応でしたが、我々全員にとって最も関心があるのは、国籍や信仰を問わず、こういった問題に対する人類の対応です。ですから、もしも仏教というラベルが却って何らかのプライドの原因になったり、他人を隔てることになる位なら、それなしで済ませることを望んでいる進歩的な仏教者たちもおります。彼らは仏教のある種の特権的地位を強調するのではなく、それを危殆に瀕している人類共同体にとっての潜在的な資産であると考えています。丸山照夫は次のように言います。「仏教再生というのは、何も仏教のためにやるんじゃなくて、(中略)人類の滅びというふうな問題とのかかわりの中で、仏教はもう一度問い直されるべきたという考えに最近至っています。」と。世界という舞台で日本が重要な役割を果たすようになるにつれて、日本の責任が増大しつつあるように、日本仏教に対して新たな要求が突きつけられつつあります。私がこの課題に取り組んでまだ一年になりません。それにも拘らず、私はしばしば海外の人々から、日本の仏教者に伝えるべき様々な要求を受け取りました。ダライ・ラマとともに国際的な仏教救援団体に参加していくのにふさわしい人は誰かいるのか?カンボジアの若い僧侶たちに、失われつつある仏教の伝統を教育するための資金は、一体どこで調達したらよいのか?国際的な捕鯨の禁止を日本の仏教者は支持しているのか?また、アメリカのテレビのプロデューサーから受け取ったものはこうです。伝統的宗教が、社会問題に創造的に関与している様子を示すためには、一体何を撮影すればよいのか?これらは私がここ数カ月の間に実に受け取った質問です。ほとんどの場合、私は応えることが出来ませんでした。さて、私たちはこの報告を疑問から始めましたが、同じように疑問で終えなければなりません。人類全体が直面している緊急の課題に、仏教はどのように応えるのか?人類全体が直面している緊急の課題に、日本はどのように応えるのか?これに対する回答は、それがなされた時に、仏教について、日本について、そして我々自身について重要な何事かを告げてくれるに違いありません。現在日本仏教界は難問に直面しておりますが、これは同時に絶好の機会でもあるのです。もしも囚われている文化的拘束から幾分でも解放されるなら、もしもその高度な教義を現実に対応したものに為し得るなら、全地球の共同体にたいして大きな貢献を為すことが出来るのです。仏教には「自利利他円満」という言葉があります。人を助けることは自分を助けることになる、つまり自分自身を利することと他の人々を利することとが、究極的には一致するという意味ですが、この言葉を仏教と社会の関係に当てはめるべきではないでしょうか。仏教は、自らを真に社会に有用なものとすることによって、初めて今後も生き残って行くことが出来るのだと思います。そしてもしもこの自己変革に失敗したら、私たちは「葬式仏教」について議論するのではなく、「仏教それ自体の葬式」について話し合うことになるのかも知れません。