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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ムカデ,ヘビ
1982年 群馬県
赤城の神と日光の神が喧嘩した。赤城はムカデ、日光はヘビになって戦った。日光が負けて逃げ、体から血を流し、山の木が赤く染まったので赤木(赤城)山と言うようになった。

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ムカデ,ヘビ
1982年 群馬県
赤城山には九十九谷あり、もう1谷あると高野山と同じになるというので、赤城の神が日光に取りにいったところ、日光の神に見つかって戦いになった。赤城はムカデ、日光はヘビになって戦い、赤城様はオカボの藁で縛られてしまった。以来、赤城様の氏子はオカボを作らない。
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マタギ
1956年 宮城県
貞観元年(859)、上野国の赤城明神と日光山二荒大権現の神々が戦争を始めた。二荒の神は日光山麓に住む弓矢の名人、万三郎為信に赤城明神を討つことを命じた。万三郎は大蛇となった赤城明神を討ち取り、以来万三郎はマタギの神として崇められ、マタギの先祖であると伝えられるようになった。
類似事例

アカギミョウジン,ダイジャ,ニッコウサンダイゴンゲン
1964年 福島県
万三郎為信という弓矢の名人が、赤城明神と日光山大権現の争いの中に入り、18丈の大蛇になってあらわれた赤城大明神を射ちとめて、日光大権現から狩りをしてよいという免許をもらった。
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ダイゴンゲン,アカギミョウジン,シロシカ,ダイジャ,ロウオウ
1967年 福島県
人皇五六代清和帝のころ、下野国(栃木県)日光山ふもとに万三郎という弓の名人がいた。このころ、上野国(群馬県)赤城明神と日光山の大権現が争い、日光山大権現が白鹿となり、さらに老翁となって万三郎に助けを求めた。万三郎は赤城明神が18丈の大蛇となって攻めてくるのをうちやぶった。その勇が禁裏に聞こえ、以降日本国中の山について山立御免となり、そのご朱印をいただいた。
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ジャタイノカミ,ムカデノカミ
1991年
日光と近江の話は酷似しており、蛇体の神とムカデの神が戦場ヶ原で戦うというものである。
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バンザブロウ,ニッコウサンノミョウジン,アカギヤマノミョウジン,ミズチ
2001年 栃木県
昔、日光山の明神と赤木山の明神が争った際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・万三郎は日光山の明神に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
類似事例

バンザブロウ,ニッコウサンノミョウジン,アカギヤマノミョウジン,ミズチ
2001年 栃木県
昔、日光山の明神と赤木山の明神が争った際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・万三郎は日光山の明神に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
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アカギミョウジン,マショウ
1964年 福島県
狩りには山立ちの巻き物が伝えられている。これには、下野国日光山ろくの万冶三郎という狩人が、赤城明神と魔性の退治くらべをして勝ち、日光権現のおほめにあずかり以降山の狩りを自由にやってよいという免許がでたということが書いてある。
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リュウコツ
1970年 群馬県
赤城山上の常光寺の宝物に竜骨がある。赤城神社の水を受けて来て、盥に竜骨を入れ、水をかけると雨が降るという。
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ムカデ
1956年 福島県
猿丸大夫がカノ山の白い鹿を追って日光まで行った。日光の大ムカデが白い鹿の子を食べるので、弓の名人の猿丸を呼びに来たのだった。シタキ(唾)をつけた矢で射るとムカデは死んだ。今でもムカデにはシタキをつける。
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テング
1937年 栃木県
親玉が日光山の座主となり、日光天狗の鼻がますます高くなったので、路面に穴を掘り、最敬礼の際、その穴に鼻をさし入れた。
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イケノヌシ,ダイジャ
1994年 鳥取県
日光池を干拓して新田開発をした。そのときに大蛇が捕まった。日光池の池の主だということで、杉谷神社に祀った。
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レイハイイシ,タスケイシ
1930年 栃木県
日光二荒山神社の別宮に瀧尾神社というのがある。このお宮の周りにある1間四方位の石は子種石と呼ばれているが、「日光山誌」によれば、この石を礼拝石、もしくは助石といって、日光責で気絶したものをこの上に置くとたちまち蘇生するという。
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イケノヌシ
1994年 鳥取県
天正16年に亀井茲矩公が日光池を干拓して新田開発をした。そのときに日光池の池の主は、流されて浜に打ち上げられたという。
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リュウノホネ
1970年 群馬県
赤城神社の宝物に竜の角がある。沼の竜神信仰と無縁ではないと思われる。
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カタサブロウ,ニッコウサンダイゴンゲン,アカギミョウジン,シロシカ,ダイジャ
2001年 栃木県
清和天皇の御世、貞観元(859)年の頃、下野国の日光山大権現と上野国の赤木明神が争っていた際、日光山の麓に住んでいた弓の名手・方三郎は前者に味方して勝利した為、以降、全国の狩猟を許されることとなった。
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フタラサン,バンジバンザブロウ,マタギ
1956年 宮城県
ある日、万二万三郎兄弟が一頭の白鹿を追って、山中の湖の岸で姿を見失う。そこに社があって二荒山の神が現れ、近く赤城のムカデが攻めて来るため、汝らに加勢を頼もうと白鹿に化してここまで誘ったという。二人は引きうけ、兄弟が1矢ずつムカデの両眼を射て仆した。その功により日本国中何処で狩をしてもよい許しを得たという。これを日光派のマタギと称する。
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ヤノネイシ,ヤジリイシ,ヒレキジン
1973年 栃木県
日光金原では、暴風雨の後に、鏃形の石が降ることがある。
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(ジャタイ)
1982年 群馬県
赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀の道元という大尽の娘は、16歳で赤城山へ行き、見初められて、帰って来てからも赤城が恋しくてたまらなくなった。親が倉に閉じ込めておいたが、背中にコケ(鱗)が生えてきたのであきらめて赤城に送ると、小沼に入って大蛇になった。毎年5月8日にはその小沼にホケエで赤飯を流す。ホケエは一旦沈んで、空になって浮いてくる。
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ムカデ,ダイジャ
1982年 群馬県
赤城山の神はムカデ。赤堀家の先祖は三上山のムカデを退治した俵藤太だったので、その恨みを受けて赤堀家の御内室が赤城に登ったときに沼に引き込まれ、大蛇にされた。赤堀氏は妻を見ようとして沼を掘り割ろうとしたが、にわかに天候が荒れて地震が起き、果たせなかった。そのときの堀が赤堀殿の堀の口として残る。以来赤堀姓は赤城山に参ってはいけない。
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テング
1976年 和歌山県
日光神社に泊まっていた時、木を伐る音がした。そして、急に木の倒れる大音響がした。それで噂の通り天狗のいることを知ったという。
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