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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

(キラレタキズ)
1975年
上方のある家の下婢は、庭の間で理由なく倒れた。まわりが抱え助けたら正気に戻ったが、頬に刀で切られたような疵がついていた。

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カマイタチ
1976年 京都府
かまいたちの通り道にあるものは、刃で裂いたような傷がつく。これは上方では無いことであると思っていたが、今子の年に、知り合いの下婢が庭でゆえなく倒れ、介抱したら頬の辺りに刀で斬ったような傷がついていたという。
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イヌガミ,イヌガミモチ,カゼモチ
1965年 宮崎県
犬神持のことを風持ともいう。犬神にとりつかれると正気を失い、気の違ったようなことを口走る。その後ばったり倒れて、正気に戻る。
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エンコウ
1938年
えんこうと相撲を取ると、たとえ勝っても正気を失ってしまう。樒を煎じて飲ませると正気に戻るという。
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カナガミサン
1962年 神奈川県
節分にはカナ神さんが交代する日で留守になるので、普段の日に切ってはいけない家のまわりの立ち木を切っても祟りがない。
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マワリコンジン
1973年 香川県
昔、突然老人が倒れた。神に聞いてみたところ、まわり金神にはねられたということだった。
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ナミオヨギノカタナ
1975年 三重県・愛知県
桑名の渡しで、ある人が人を切ったところ、その切られた人は3間程浪を泳いで2つになった。ゆえにその刀を浪およぎの刀という。
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(ゾクシン)
1982年 新潟県
歯痛に関する呪的療法。墨で頬にキツツキと書く。墨で頬に丸を書く、など。
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(マジナイ)
1957年 山梨県
歯痛の時には頬に墨を塗る。
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イヌガミ
1961年 徳島県
犬神にとり憑かれたお石さんという人がいた。先達に祈祷をしてもらうと、お石さんは、合掌したまま、もう悪さをしないと言った。その後、走り出して庭で倒れたお石さんは、正気に戻ったが犬神はまだ去っていなかった。
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テングナメシ
1938年 岩手県
木を切る音や切った木が倒れる音がするが、次の日の朝に見に行くと1本も倒れていない。天狗倒と同じ。
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ヨウトウ,ハイラズノマ
1985年 愛媛県
入らずの間に火を切る妖刀がある家がある。
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ヒバシラ
1960年 神奈川県
火柱を見たことがある。倒れた方には火事があるといったが、そのような事はなかった。
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(ミガワリジゾウ)
1976年 神奈川県
高津社の北、地蔵坂の筋の谷町筋の西南側、専修院の地蔵は、もとは相模国林村にあり、助太夫という者の家の婢女が、地蔵尊を篤く信仰し、日毎に初穂を供えていた。助太夫はこれを聞いて大いに怒り、婢女の頬に焼鉄をあてて焼いた。気絶した婢女が目を覚ますと、頬は元通りになっている。不思議に思って地蔵尊に参ると、尊像の頬は焼け爛れていた。これより、この尊像を身代わり頬焼地蔵尊と呼ぶという。
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キツネ
1971年 岐阜県
ある娘が腰元奉公をしていて殿様のお手つきとなり、刀を拝領して杉平集落に下がってきて、刀を洞に隠した。その後、キツネに憑かれた人が「刀がある」といって探したところ、この刀が出てきた。
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ホオナゼ
1974年 山梨県
夜、寂しいところを通ったとき、頬撫ぜというお化けが出るという。
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ワラノミヤガアルタ
1969年 福島県
藁の宮が田の中にあるので、そのまわりは草も刈らないというところがある。
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(シャボク),シンレイ
1981年
肥後の野原八幡の社木が大風ですべて倒れたのだが、一夜の間に震動して、倒れた木がみな起きたという。それは不思議なことではなく、神霊がその木を起こさなければならない理由があったのだろうと考えられた。
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ロクブ,サル
1937年 兵庫県
狒々に人身御供にされそうになった庄屋の娘を六部が助ける。再び旅に出た六部が狒々の毒により倒れていると、爺さんと婆さんが助けてくれ、地蔵さんにこもるように言われる。その家の息子が戻って爺さんと婆さんを殺し、六部にその罪を着せた。初めに助けられた娘が六部の絵姿の異変によってそれに気づき、打ち首にされそうになった六部を助けた。
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オフクダイジャ
1983年 新潟県
お福という名の大蛇が福島潟にいた。その後上方へ行ったとも言われているが、不明。
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オハグロジゾウ
1986年 埼玉県
近所に美しい娘が来たので見に出掛け、頬にお歯黒をつけられた。
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チクルイ,ヤマ,オンセン
1928年 岩手県
須川温泉は、動物が疵を癒すために入っているのを、猟師が見つけて温泉として始まったとされている。また、この山は一度入ったものは生きて帰ってくることができないと昔から言われていた。
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