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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

フクロウ
1974年 京都府
京のかまや下立売下る町に、丹後屋佐兵衛という絹屋がいた。訳あって絹屋仲間から憎まれていたが、丹後屋に絹を織らせないとの内談を聞いたので、佐兵衛は丹後に人を遣わして絹糸を買い占めてしまった。その頃佐兵衛が所持していた機織器に鴟がとまっていた。すると翌日一機の糸が何故か切れていた。佐兵衛は犯人を捜したが見つからず、それから毎日切れ続けた。そこで色々と加持祈祷を頼んだが、愛宕山に祈願することでその災難は起きなくなった。

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ウマレカワリ
1944年 福井県
五兵衛という足りない男が松岡の殿様に生まれ変わった。背中にはっきり「丑ケ谷 五兵衛」と書いてあった。五兵衛の家はどんな家かと思ってか、後に殿様の家老が見にきたことがある。
類似事例

サル
2005年 島根県
佐太神社の裏で人間ほどの大きさの銀髪の猿が目撃された。カミのお仕えではないかとされている。その後、普通の猿も佐太神社前の橋で数回目撃されている。通常、佐太神社周辺では猿は出ない。
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テング
1982年 群馬県
力五郎兵衛とまで言われた力持ちの五郎兵衛は、天狗と相撲をとって負けた。
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キツネ
1922年 茨城県
治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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タロベエキツネ,キツネ
1929年 島根県
悪戯をする太郎兵衛狐がいた。あるとき和尚が林の中にある太郎兵衛の家に行き、和尚の持つ寶頭巾と、太郎兵衛の変化自在の「玉」を交換しないかと持ちかけた。寶頭巾で何にでも化けられると思った太郎兵衛は、その話に乗った。しかし、「玉」を奪われ頭巾も効力がないと知り、無念の日々を送るようになった。
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サウエモンノボウレイ
1991年 愛知県
女が山でおしっこをしたが、そこはちょうどお墓で佐右衛門の亡霊にとりつかれる。佐右衛門は土地を取り上げた地主に土地を返すよういう。地主は聞かず、そのため村中の子供や馬の子が死んだりして村で供養した。
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リュウグウノヒメ,ロクベエイワ
1993年 岩手県 
六兵衛という美男がお伊勢参りに出かけ、渡し舟から落としてしまった笠がきりもみして水に引き込まれた。お伊勢参りから帰ると病にかかり、危篤になった。その夜、重病の六兵衛がガバッと起きて小さな穴のある岩に入ってしまい、六兵衛岩になった。竜宮の姫が気に入って、自分の元に呼んだのだった。
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ダイジャ
1961年 静岡県
250年位前、甲斐国八代郡篠原村の絹屋が松崎の伏倉の旧家、セキセイ太夫の所へ泊まっていた。絹屋はアザノガハラ(字野原)の池の主である大蛇をとりにいくのに名刀をもっていき、その刀が大蛇除けになった。しかし、その刀をすりかえられ絹屋は大蛇に呑まれた。絹屋の娘の姉妹はアネグスヤマ(姉越山)とイモウトクボ(妹窪)で大蛇をまちかまえ、計略をめぐらしておびきよせて射た。大蛇は蛇鋏みという穴に入り込んで、7日7夜うなって死んだ。その大蛇の骨を埋めたところを大蛇院といった。
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タヌキ
1996年 香川県
中山の和兵衛さんが菓子を背負って玉越村へおろしに来た。すると狸に化かされ、東の峰へ登らずに南の方へ登っていった。和兵衛さんが大声をあげたら、村の若い衆がかけつけてくれた。和兵衛さんは足を血まみれにして座り、菓子は食べられていた。
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ネズミニコロサレタハナシ
1956年 宮城県
享保の頃(1716~1736),仙台城下での話。享保5(1720)年4月新妻胤信より採集。伊藤氏の家来の六兵衛が鼠の妖災によって病に臥し,危篤になった。ある夜亥の刻頃,伊藤氏の義兄新妻胤信が様子を見に行くと,六兵衛は毎夜安眠できずすっかり疲労していると嘆いた。胤信が慰めていると,何処からともなく大小の鼠が6,70匹ばかり現れ,寝床の辺を這い回る。六兵衛がいくら追い払っても効果がなく,家人が来てようやく追い払った。六兵衛の話では,毎夜このような状態で医師も祈祷も効かず殆ど寝られないという事であった。間もなくして六兵衛は死んでしまった。鼠の祟りか何か,その辺の事情は不明である。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔,渕の崖上に源兵衛というものが住んでいた。梅雨頃,夜更けに若い女がきて「私はこの渕の主の鰻で,明晩川上の賢渕の主の蜘蛛と一騎打ちをする。その時あなたが『源兵衛ここに控えおるぞ』と声を掛けてくれれば勝てるのでよろしくお願いします。」というので源兵衛は承知した。翌晩鰻と蜘蛛の大合戦が始まったが,あまりの怖ろしさに源兵衛ここにいるぞと言えなかった。翌朝見ると鰻の首が噛み切られて源兵衛の家の方を睨んで浮かんでいたので,それを見た源兵衛は気が狂って死んでしまった。その後この渕を源兵衛渕と呼ぶようになった。町の人々が供養のために建てた小祠が近年まで残っていた。
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ゲンベエヤシキ
1955年 山梨県
源兵衛が最後まで残った屋敷の跡の田圃を源兵衛屋敷という。源兵衛は名うての豪家で毎月慈観寺に碁打ちに出かけていた。ある日源兵衛が和尚に手相を見てもらうと、終いには乞食になるということであった。源兵衛は「どんなに寝食いに食っても3代はある身代だ」といったが、厄病と火事との重なる事件のため、明治維新頃には乞食となり、どこで終わったか知る人もないという。
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カツオリョウ,オオカジキ
1972年 沖縄県
明治39年(1906)本土より鰹漁が伝えられ、島の漁師も鰹漁を始めた。計佐(けざ)という漁師が鰹漁に邪魔な大カジキを銛にて突いたところ、計佐は夕方に帰港する頃には息絶えていた。
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(タタリ)
1974年 神奈川県
延宝7年、相模国本目浦に八郎兵衛という大工がおり、その甥は悪人であった。扱いに困った八郎兵衛は、彼を縛って海に沈めた。その翌夏に妻が子供を産んだが、それが額に角があって甥の顔に似ていたのでまた殺したところ、死体はむくむくと持ち上がったという。そこでその遺骸を神子の口寄せにかけたところ、私を殺した恨みを子供になって晴らそうとしたができなかった。この上は火難に遭わせてやると言った。すると程なく八郎兵衛の網だけ燃え上がって焼失したという。
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ロクベエギツネ
1994年 愛知県
六兵衛狐と呼ばれる狐が住んでいた。ある年の秋にあちこちで鶏が殺されたので狐退治をすることになり、巣穴近くで青松葉を燃やして狐をいぶりだした。翌日、いぶしをかけた村人の子が行方不明になった。六兵衛狐の仕返しだと言いながら一晩探したが見つからず、翌朝、両手いっぱいに彼岸花を抱えて歩いている子どもが見つかった。以来、村では彼岸花のことをきつね花と呼ぶ。
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カッパ
1979年 静岡県
100年ほど前のことだが、佐十渕で3人の男が水浴びをしていたところ、1人だけが「もう一浴びする」と言って渕に入り、突然笑いながら沈んでいった。河童に尻のこを抜かれたのだという。
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オニ
1988年 奈良県
六兵衛という漁師が網の材料を取りに来て、大台ケ原の大蛇嵓で夜、焚火をしていると、40歳くらいの女が来て、六兵衛の飯を食い酒を飲み始めた。そこに女が来て睨み合いになり、天地鳴動して六兵衛は気絶した。気がつくと後からきた女と巨身白髪髭の老人がいた。先の女は鬼で、大台ケ原の神である女が助けに来たが、力が足りずに弥山大神である老人の力を借りたのだった。
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キレイナカッコウヲシタオンナノヒト
1989年 山梨県
絹織石といって大きな岩が川の中にあり、きれいな格好をした女の人がそこでよく機を織っている。その姿に見とれてしまって仕事にいけず、困ったので、機を切ってしまうとその人は消えてしまった。そこにあった機のオサはセンギョジガタケジマという橋のところにあった観音さんに祀ってあったそうだ。また、その人が使っていた鏡は流れていって、本村の下の方の観音さんにあるという。
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ハタオリブチ
1974年 滋賀県
機織の女性が死んだ淵へ行くと、機を織る音がする。
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エンコ
1985年 愛媛県
孫兵衛が海で馬を洗っていたとき、エンコが馬を沖へつれていこうとしたが、逆に馬が山の方へ逃げていった。孫兵衛はエンコをつかまえて殺そうとしたが、エンコが悪さをしないと約束したので命を助けた。
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ユウレイ,ムジナ
1929年 石川県
次郎兵衛が女房と娘を残して死んだ翌晩から、白衣を着た次郎兵衛の幽霊が出た。その幽霊が人間の幽霊か獣が化けたものかを見分けるために灰を撒いておいたところ、狢の足跡があり、それから来なくなった。
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