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検索対象事例

センシヅカノカイ
1932年 愛知県
東春日井郡守山町大字大森には、戦死塚という丘陵があり、セイセイ塚とも呼ばれる。小さい頃、雨が降ると、塚の下に掘ってある小溝の水が赤く染まる。死人の血が流れるからだという者もあった。雨の降る前の夜などには、フワフワと火の玉が飛んでゆくという。気持ちの悪い青光で、4、5尺ほど長さだという。翌日には、村の誰かが必ず死んだという。

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ジゴクヅカ
1982年 群馬県
地獄塚は昔の戦死者を葬った塚で、掘ると火の雨が降るという。
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ハチロウヅカ
1982年 群馬県
八郎塚を掘ると火の雨が降るという。
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ヒノアメツカ
1987年 長野県
茂田井の村境にある塚。これは「血の雨塚」だという説がある。昔,若い殿様が死んだとき,人々が嘆き悲しんで血の雨が降った。その若殿様の塚だという。
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コウミョウヅカ
1982年 群馬県
光明塚を掘ったり、塚の上の木を切ると祟るという。
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ヘビ,タタリ,ヒキガエル
1938年 京都府
何時の頃からか石塚におおきな塚が2つあって、東の塚には大きさ約1尺ほど蟇蛙が棲んでいて、西の塚には300年来の蛇が棲んでいる。5、6年前に塚に登って草を刈り、掃除した人がいたが、足腰が立たなくなった。塚の前に祠を建てて祀ったらまもなく治った。
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ダイジャ
1967年 福島県
蛇塚という場所には昔大蛇が住んでいて人民を悩ましたので、僧都が塚に埋め封じたという。西に首塚、東に尾塚がある。農夫が水を通そうとこの塚付近を掘ったところ不思議のことがあったのでやめたという。
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ジゾウヅカ
1982年 群馬県
地蔵塚を掘ると祟る。
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ヘイケノツカ,ヒカリ
1916年 福井県
昔、逃げてきた平家の侍の墓といわれる平家の塚がある。50年ほど前、村民の1人が雨の降る夜にこの塚から光が発しているのを見つけ、掘り出したら一振りの刀が出てきたという。
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アメ
1946年 香川県
産まれた時に雨が降っていると死ぬときにも雨が降る。
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ジョロウダ
1985年 茨城県
満願寺に女郎塚と言う小さい塚があった。いつの頃からか、平にして稲を作る者があったが、悪い事が続いて発生して、唯れも作る人はなく、荒れていた。
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オトバヅカ
1959年 愛知県
宝飯郡長沢村にはオトバ塚という塚が2ヶ所にあり、塚を崩した者は発狂したり疫病にかかったと伝えられる。
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ヒノアメツカ
1987年 長野県
茂田井の村境にある塚。昔,火の雨が降ったとき,人々がここに隠れた。
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ヒノタマ
1970年 三重県
火の玉が飛ぶと誰かが死ぬ。
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ヒノタマ
1988年 茨城県
火の玉が出るのは闇夜で少し雨が降っているようなとき。火の玉は赤い。
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ズコヅカ
1939年 茨城県
ずこ塚で、お椀や皿を貸してくれるように頼むと、貸してくれたという。頭庫塚・地蔵塚などの字をあてる。今はない。
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ツカ
1997年 愛知県
野中に、田の中に土が盛ってあるだけの塚があり、これに少しでも鍬を入れるとたちまち病気になって死んだ。塚を踏んだだけでも足が動かなくなったりした。これは昔、この地で息絶えた野武士に村人が塚を立てて供養したものである。
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ツカ,ダイジャ
1932年 熊本県
昔、毎夜声を出す塚があった。ある若者が行ってみると、気味の悪い女がいた。女は夜になると燃える別の塚に連れて行ってくれるように頼むので連れて行くと、女は塚に入り、出てくるときは大蛇になった。するとまた、もとの塚に連れて行けと言うのでその願いも聞き入れると、大変感謝され、若者は小袋をもらった。
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ナガモノ,ヘビ
1957年 愛知県
大きな蛇が殺されて祟ったので、塚を作った。長物の塚といい、今も田にせず、萱のままである。
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ツカ
1957年 愛知県
塚と呼ばれている山伏の墓はよく祟る。原因不明の病はたいがいこの塚の祟りである。
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ヤオビクニ,シテンノウサマ
1930年 埼玉県
日進村の櫛引という字から2町ほど離れたところにある国立養鶏場には大きな塚がある。昔、比丘尼がここに来たとき、この塚に四天王様を祀ったといわれている。この塚を掘れば四天王様が出てきて崇りをなすかもしれないので誰も手をつけなかった。現在では立ち入ることができないという。
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レイム,キヨヅカ,セイショウナゴン
1936年 香川県
金刀比羅宮の仁王門の下にある皷樓のそばに清少納言の塚と伝えられている塚があり、清塚と呼ばれている。宝永の頃、皷樓造営のために塚を移そうとしたところ、造営人の夢枕に官女が現れ、「われは、これ清少納言の霊なり、この塚をな移し給ひそ」と言って「うつつなきあとのしるしを誰にかととはれとなむとありてしものがな」と歌を詠んだ。これを聞いた人は驚いて塚を修理したという。
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