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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タタリ,ヤマブシ
1935年 長野県
山伏が百姓に道をたずねたが、諍いになって殺された。何年か後に疫病が流行り、一人の病人が、神がかって告げるには、殺された山伏の死骸に木の根が絡んで苦痛なので、静かな場所に移してもらいたいとのことである。さっそく鎮め祀ったのが大平霊社である。

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タタリ
1981年 長野県 
1500年ごろの話。木下三幹が諍いから山伏を殺した。山伏のたたりでその家は絶えた。よそから来た人が家を継ぎ、開墾していると山伏の骨としゃくじょうが出てきたので祀った。それが法力神社。
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(タタリ)
1981年 長野県 
山伏が村人と争って殺され、生き埋めにされた。しばらくして夜な夜な法螺貝の音が響くようになり、熱病が流行った。村人の一人に山伏が憑き、手足が縛られて苦しいと口走った。山伏の骨を拾い、供養すると熱病も治まった。それが法力様で、ご神体はその山伏の頭蓋骨。
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キツネ
1989年 長野県
山伏が、池の畔で昼寝していたきつねを池に蹴落とした。山伏が帰ると、突然辺りが暗くなって葬式行列が後からついてきた。山伏が桜の木に登ると、行列は棺をその桜の根元に埋めて帰った。夜更けに墓から死人が出てきて山伏に迫ったので、山伏は木から飛び降りて死んでしまった。
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マリシテン,ヤマブシ
1983年 岡山県
天正の頃、村人が村にやって来た作法知らずの山伏を切り殺してしまったところ、悪疫が続いた。これは山伏の祟りであろうということになって祀ったのが、現在ある摩利支天なのだという。
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テング
1930年
山伏にあなたの故郷の神事を見ようと誘われ、たちまち空を飛んで氏神の社についた。森の梢で神事を見ていると、山伏に「寒いので火にあたりたくないか」と問われ「そうしたい」と答えると、山伏は団扇を持ち、扇ぐと火が燃えた。しばらく経って立ち去る時に、山伏は「今燃えたのはあなたの伯父の家だ」と言った。
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ヤマブシ
1952年 福島県
突然山伏が泊めてくれとやって来た。断った家の家族は山伏の言う通り全員死んだ。応召された息子の話を山伏にすると全員無事に復員した。山伏が二度目に来たとき、斧を盗まれた話をすると、斧は見つかり盗んだ男は死んだ。
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オオカミ
1965年 宮崎県
オトゴエ峠で山伏が狼を切ったら、何十匹何百匹というい狼が出て来て、襲ってきた。山伏はそのほとんどを切り殺したが、残りの半死半生の狼をいびったら、それに食い殺された。
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ヤマブシ,タタリ
2000年 香川県
文政7年(1824)に書かれた『壺井家先祖聞書』によれば、ある年の8月の氏神ご祭礼の折、坂出村年寄・壺井家の先祖市左衛門が山伏と口論となり殺害される。坂出村の者達は、山伏がどこの者か分からず、また敵討ちだとして石で打ち殺した。その後、山伏の祟りか、村に変事が多発した。そこで荒神の東に石の社を建てて、山伏を神として祀ったという。
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ヤシャガイケ,ダイジャ,アマゴイ
2002年 滋賀県,岐阜県,福井県
江州音頭の内容。昔、美濃国安八郡の安八太夫という人には娘が二人いて、ある年の夏の干ばつで困っていると、一人の山伏が娘を一人くれたら雨を降らすと言った。娘のお里はそれを承諾し、安八太夫が山伏にそう告げると、山伏は早速大声でお経を唱えた。すると忽ち大雨が降り出した。山伏は実は古池に住む大蛇で、女房をくれた恩返しに水の不自由はさせないと言って姿を消した。
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ヤマブシ
2001年
ある僧侶が武蔵から下総に下る途中で宿を求めていると、山伏に出会った。山伏は「大放火寺」に僧を連れて行くが、そこで僧は結城上野入道が苦しむ様を見る。実は地蔵菩薩だった山伏に供養を頼まれたとたん、鐘が鳴り響き、寺も山伏も消え、僧侶は野原に座り込んでいたという。
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ヤマブシ
1958年 香川県
戸田城跡の近くに山伏池と呼ばれる池がある。山伏が溺れて死んだことから名付けられた。この池には様々な怪異があり、城跡からお櫃が転がり落ちてきたり、甑がまくれ落ちてきたりした。そこで池の中の小島に山伏の霊を祀って供養した。
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ヤマブシヅカ
1984年 長野県
恋仲になった家臣と姫がいた。家臣が山伏の姿となって落ちのびるが、その先で男は死んでしまった。山伏を葬って女は尼になった。終戦後ここを通った旅僧が山伏塚を見て霊験を感じ、西の方角に向って念じよと言い残していった。
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(カミカクシ)
1990年 福島県
おなつという娘が行方不明になり、通りがかりの山伏に祈祷してもらった。山伏が滝で21日の行をして沼の淵を探したら見つかった。温めたら生き返ったが、喋れなくなっていた。その後山伏の奥さんとなったが、口は利けないままだった。死ぬとき初めて「真っ暗で、非常に冷たかった」と言った。
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ヒタチボウカイソン
1931年 岩手県
常龍山光学寺の大徳塚は何を祀ったものか誰も知らなかった。あるとき山伏が塚に参っているので寺の僧が塚の主を問うと、山伏は亀井六郎の墓であると答え、義経一行のことを事細かに語った。山伏は常陸坊海尊だったろうということになった。
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ロッポウコンジン,バケモノ
1974年 大阪府・京都府
大坂高麗橋一丁目金神医者、山伏医者と異名するものがいた。病人の家に行くと金神の祟りがあると言って京都四条あたりに住む山伏の祈祷を勧めた。俗に金神は八岐大蛇の霊だという。又、陰陽道では巨亘(こたん)大王の精魂だという。
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シュゲンシャノタタリ
1956年 宮城県
昔仙台城下東郊に広田甚八という番士がいた。ある時仲間と酒盛りをしていると,盛り上がっている頃に山伏が戸口にやってきて法螺貝を吹き鳴らした。座興を壊された甚八は立腹して山伏に斬りかかり,助命を請う山伏を殺してしまった。翌日甚八はその筋に無礼討の旨を届け,お咎めもなくすんだが,その後行状を改めるどころか益々酒乱と狂気の状が募って遂に座敷牢で狂い死にしてしまった。また,甚八の息子が江戸番馬上役を仰せつかったが,上京の前夜一人の山伏が来てここは広田殿の屋敷かと聞く。そうだと答えると「みんな亡んでしまったと思っていたのに」というので下僕はこれを叱り飛ばし,その旨主人に告げた。主人も親戚も山伏と聞くと顔色を変えて,山伏を捕らえようと飛び出したが,その姿はもはや何処にもなかった。さて当主は江戸到着後間もなく失明して労咳を患い,やがて亡くなった。さらに男子彦兵衛と女子なかも幼くして死に,未亡人は後今市の丹野某の後添となったもののやはり不慮の禍で亡くなった。
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リュウジン
1955年 新潟県
酒宴を開くと山伏がやってきたので、ご馳走をした。翌日山伏の姿があったが首がなくなっていた。百姓を助けるために大洪水を起こすため、池に赤猫を投げ込んだといったが、それが池の主、龍神の怒りに触れて首を落とされたのである。
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ヤクシサン
1955年 静岡県
徳川家康が大平の薬師様に参って目が治った。もっと人里に祀ろうとしたが、吉原まで来たら動かなくなった。薬師様は大平が見えない所に行きたくなかった。
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カミサマ
1936年 東京都
神様が子供を千人食い殺すと言ったときに、夏みかんの皮を3つに割って逆さに吊すまじないをしなかった家では、子供が死んだ。疫病が流行るのは神様が子供を食い殺すのだという。
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シニン,タタリ
1989年 長野県
ある金持ちが、悪人に殺されてしまった。殺された場所の近くに鐘があり、ある人が拾って家に置いた。するとその部落で病人が多数出た。ねぎ様に拝んでもらうと、死人の祟りだった。お祓いをしておさめてもらったという。
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キツネ,(タタリ)
1986年 大分県
狐を殺すと祟られる。
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