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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ボサツドウリョウ,テング
1928年 神奈川県
關本道了権現の本尊である菩薩道了は、了庵の徒弟であり、大力無双であった。この寺が建つ時にも尽力し、死後は天狗となってこの寺を守ってきた。

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ゴンゲンノムコク
1943年 山形県
国見の玉川寺が荒廃したとき、了然坊弘性という百済僧に権現の夢告があって、再興を命ぜられたという。
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リュウジョ
1970年 東京都
了誉上人が宗慶寺にいた時、竜女が現れ、上人は菩薩戒の脈譜を授けた。竜女が報恩として授けたのが今の極楽井だという。
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セチエサクラ
1983年 愛媛県
伊予国和気郡山越村に、毎年正月16日に桜がある。伝えるところによると、この近くに了恩寺という寺があり、住僧が桜を愛していた。しかし1年して病に臥し、今年はもう桜をみる事ができないと木に向かって嘆いたところ、翌日にことごとく咲いたという。そこから十六日桜ともいう。
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アマゴイ,リュウジン
1922年 香川県
早魃のときに藩主の命で法泉寺の了応和尚が雨乞いをした。和尚が槌の戸(大槌と小槌の二島の間)で海中に書附を投げ込むと4日間雨が降り続いた。龍神に手紙を遣わしたからであるという。
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シャリ
1974年 東京都
三縁山増上寺の了学上人は、寛永11年1月15日に念仏を唱えながら臨終を迎えた。彼を荼毘に付した後、その身体はことごとく舎利となり、また手にかけていた水晶の数珠も五色に輝き、舎利になったという。
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テン
1941年 新潟県
住職が悪事を働いた貂を助けてやると、寺までついてきた。そのまま天井に住みつき、住職と寺を守るようになった。
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ケサガケザクラ,ホウリキ
1943年 山形県
玉川寺の裏山に桜清水と呼ばれる清水があり、その傍らに座禅石と袈裟掛桜がある。了然坊が座禅をしていると、石から焔が上がっているのが見え、かつて修行した寺が焼けようとしているのを知り、通力でこれを消した。その際、お礼に送られた袈裟が、鳥に言った使いの小僧の手を離れて飛び去り、掛かったのが袈裟掛桜である。
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トビカンノン
1984年 長野県
寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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カンノンゾウ
1989年 長野県
長石寺に泥棒が入り、本尊を盗んだ。しかし、なんだか背中が重くなり始め、恐ろしくなった泥棒は本尊である観音様を天竜川へ捨てた。
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キョジン,オオヂカラ
1927年 山口県
昔、小串村の大力の男が、支那の大力の男と力比べに出かけたが、逃げて帰ってきた。しかし、追いかけてきたので、相手を池の中に封じ込めた。この話が蓋井という地名を説明するものである。
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オハカ
1999年 栃木県
小学校が建っている場所は、昔、お墓だったという。
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ウシ,ユメ
1974年 京都府
京かわら町の牛屋にて、ある時牛が主人の夢に現われ、明後日に死ぬので死後ある寺に葬って欲しい、私はその寺の3代前の住職である、と語った。同じ夢を牛屋の妻と寺の住職もみていた。
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ウシニウマレカワッタソウリョ
1944年 東京都
僧侶は食べて寝ているので、死後牛に生まれ変わると信じられていた。ある寺の和尚が死に、世話人が寺名を書いて葬った。数年後、世話人が歩いていると牛方が「おい、○○寺!」と牛に怒鳴っている。その牛には色変わりの毛があり「○○寺」と読めたからとの事であった。
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カネ
1989年 長野県
文永寺の鐘が評判になると、飯田の殿様が寺から鐘を取り上げてしまった。しかし、鐘が寺を恋しがって「文永寺恋しやゴーンゴン」と泣いて鳴るので、やがて寺に返された。
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ヒカリモノ,レイボク,レイム,ダルマ
1935年 群馬県
碓氷川が氾濫した時、夜中に光り物があった。翌朝見ると古木で、えもいわれぬ芳香のある霊木なので、観音様がひきよせられたのだろうと少林山の観音堂に納めた。数十年後に一了居士なるものが霊夢を見て登山し、一刀三礼の敬虔振りで霊木から達磨の座禅像を彫り上げた。その当時また碓氷川に流れよった古木があり、この古木にあった大きな穴は丁度達磨像の龕に丁度よかったという。それらの話を聞き伝えた人々の参詣が盛況を呈し、ついに寺を開いたのが少林山達磨寺である。
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ブツゾウ,コゾウ
1979年 岩手県
柳玄寺にある仏像はもと松崎村中井家の本尊だった。ある年中井家の隣家より出火した時、何処からともなく1人の小僧が現れこれを消し止めた。無事を感謝し御本尊に合掌すると本尊の手が黒焦げになっていたという。また田植えで人手が無く困っている時にも1人の小僧が現れ手伝ってくれたが、その足跡を追って行くとこの仏像の仕業だったという。
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タマシイ
1967年 山梨県
死の前の晩には、魂が寺へ先に行くが、その時、男の魂は寺の玄関、女の魂は勝手口から入り、寺の人はガタガタするような音を聞く。
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ムジナ
1935年 新潟県
越後の中里駅から駅前の広い路を行って小さい道に右折すると小さい寺が田んぼの中にある。ある雪の晩に寺が火事になり、村中が集まった。しかし焼け落ちかけていた寺は、近寄ると何事も無く建っていた。翌朝村人は、大きな穴、つまり「貉の穴」を見つけた。人々はそれ以来、貉を恐れた。寺の火事もこの貉の仕業といわれていた。
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シリョウ,ゼンコウジマイリ,マクラメシ
1999年
枕飯や枕団子は、死後すぐに用意しなくてはならない。死霊が死後すぐに善光寺詣りをするので、帰ってくるまでにできていなければならないからだとされる。
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キツネ,セツアンイナリ
1934年 長野県
狐が武士に化けて蛻庵と名乗り、諏訪侯に任官した。けれども正体がばれたので、暇をもらった。興禅寺の庇護を受け、食客となったが、安国寺へ使いに行った時、打たれてしまった。その後、疫病が流行し、狐の祟りとされた。そこで興禅寺に蛻庵稲荷として祀られた。
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クマノゴンゲンノゾウ
1979年 岩手県
光興寺には熊野権現が祀られていた。ある時京から来た修行僧がこの堂を一夜の宿とした。僧が火を焚くと、その火は堂に燃え移ってしまった。その時熊野権現の像は遥か離れた畑中まで飛び移り、いたやの大木に引っ掛かっていたという。この熊野権現の像は今日柳玄寺にあるが、柳玄寺が出す八咫烏の護符は罪を犯した者が飲むと顔が腫れだすという。
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