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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

アマ
1932年 福岡県
筑前大島の沖には海女というといものがいて、それが海の上を歩き回っていることがあるという。

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オオアワビ
1967年 千葉県
岸和田で美しい海女とねんごろになった若者がいたが、働き者で沖へばかり出ていた。海女は淋しくて、海がしけるのを望んでいた。触れると必ず海が荒れるという大鮑が浦の沖に住んでおり、海女は毎日海を荒らして若者と会った。ある日、あらしを一時におこそうとして、数日分の大しけがおそってきて、たくさんの船が難破した。海女は若者が心配になって沖へこぎ出したが、大鮑の附近に近づくと、そちらへ吸い込まれた。これをはるかに見た男は女の舟を追ったが、ついに海女は舟とともに沈んでしまった。
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オオザメ
1934年 三重県
旧暦の6月1日は、大島の神の祭日で、その日に二神が海中で逢うので海女は仕事を休む。昔、この日に海女が海に行くと、海水が渦巻いていたので帰った。それ以来、決してこの日には海で仕事をしない。
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アマ
1975年 新潟県
鹿野浦の浜にでる海女を岩間半左衛門が退治しようとするが、海女は長い髪の毛が海につかっている間は力が強い。半左衛門は槍を短くして海女を陸へおびき出し、長い髪が海から出た時に槍で突いて殺した。海女の正体はタコであった。
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トモカヅキ
1934年 三重県
海女が海に潜っていくと、もう1人の海女がおり、鮑をくれてよこしたり、暗い中へ誘い込もうとすることがある。もし、本物の海女だと信じて鮑を貰ったり誘い込まれたりすると、潜水時間がのびて窒息死してしまう。これをともかづきと言う。
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サメ,(ゾクシン)
1960年 三重県
6月15日は鮫が来るといい、海女が仕事を休む日。子供も海に入らない。
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サメ
1960年 三重県
6月14日はオオジロ様(海の神様)の祭りで、お使いの鮫3本が必ず来るといい、海女は海に入らない。
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トモカズキ
1956年
海女が水底でよく見る、自分と同じような姿の魔物。その特徴は鉢巻の尻を長くなびかせている。友舟の海女かと思い、浮かび上がってみても自分の舟のほかに舟の影は見えない。海底でこれに会うと近寄って笑いかけたり、鮑をくれたりするが、そのときは後ろ手で受けねばならない。これにあった海女はその後しばらく海に潜らない。防ぐマジナイとしては、鉢巻きなどに魔除けの印をつける。
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ウミオンナ
1933年 福岡県
福岡県来た海岸の漁民たちは、水面を女が歩いているのを見ることがある。これをウミオンナと言う。また、出雲の外海には海女房が現れるというが、海女房のような害があるかはわからない。
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(ゾクシン),ワラニンギョウ
1933年 福岡県
筑前大島では1年のうちに2人の死人を出した家では、3人目が出るといって2人目の藁人形を棺の中に入れる。そうすると、3度目の不幸をまぬがれるという。
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オオミサキサマ
1938年 山口県
昔は向津湾の半島が岬のオムロ(祠)に祀っているオホミサキサマを恐れて、沖を通る船は帆を下げ、海女も月経中は海に入らなかった。
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マジュツシ
1953年 鹿児島県
昔、この島の里山に魔術使いが住んでいて、沖を走る船をとめたり海上を歩き回ったりしたと言う。
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シキ
1956年
一般には、夜の海に魚群が白くなって見えることをいうが、それは亡霊が魚になって尾いてくると信じている。宮城県本吉郡大島では漁期のことをシキと呼ぶ。
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クダ
1973年 長野県
或いはクダが憑いた人は、腋の下と腰を撫でると痛がるからすぐ分かったといもいう。
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ウミテング
1956年 東京都
海天狗というものは人を化かす。
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ツケビ
1967年 愛媛県
沖で、海に山が見えたり家が見えたりすることがある。つけ火といい、仏が迷っている。焚火を振ると見えなくなるという。
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カミカクシ,キツネ
1995年 愛知県
神隠しに有ったと思われた人が、ぐるぐる歩き回らされていた。狐の仕業。
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フネユウレイ
1998年 沖縄県
船幽霊は伊平屋沖、那覇沖、平久保沖など海の難所に多く出没する。近付いてきた船幽霊を避けると遭難してしまう。構わず直進すれば消えてなくなる。
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マモノ
1970年 三重県
海女が着物の裾に黒糸を縫い付けるのは魔物が白色なのでそれと間違えられないようにするため。
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テング
1975年
大島の怪とは天狗につままれたという類の話だろう。
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オンナ
1980年 青森県
筑前からの船が難破して津軽の海辺に着いた。船乗りが山に入ると40歳ほどの女がいて、船乗りと同郷で昔に来たという。そして故郷で若松の下にある祠に法螺貝を置いたといい、筑前に帰った船乗りが尋ねると実際にあった。しかしその松は大変古く、法螺貝もかなり昔からあるという。再びその女に会って話すと、安徳天皇の生きていた時は20歳だったという。
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カミカクシ
1973年 岩手県
数年前のこと。近所の子供が行方不明になった。帰ってきた後聞いてみると、何かに憑かれて1日中歩き回っていたといった。
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