第1回

百鬼と孫悟空

百鬼と孫悟空

画本西遊記百鬼夜行ノ図、江戸末期

外国船出没 世相を映す

 妖怪(お化け)は、コミックやアニメ、小説、ゲームなどに欠かせない存在だ。なぜ妖怪は日本人の心をとらえるのだろうか。
 その理由は、今も昔も、子どもの頃からたくさんの妖怪の話を聞いたり見たりして育ってきたからなのだが、さらにいうと、日本では千年も前からさまざまな妖怪の絵を描き、それを通じて人間や世相を風刺・滑稽化してきたことも大いに関係しているようだ。
 例えば、幕末に描かれた「画本西遊記百鬼夜行ノ図」では、日本の妖怪たちが大集合し、配下の猿を引き連れてやってきた孫悟空と対峙している。ここには、外国船がしきりに周辺海域に出没するという当時の世相が反映されている。
 国際日本文化研究センター(京都市西京区)では、所蔵する妖怪絵を基礎にした「怪異・妖怪画像データベース」を作成・公開した。あやしいばかりではなく、どことなく滑稽なものや可愛らしいものまで、じつに多様な妖怪を見ることができる。そんな妖怪たちを紹介していこう。

(小松和彦)

京都新聞2011年6月8日朝刊掲載

第2回

清姫

清姫

道成寺縁起、江戸末期

人から蛇へ 奇妙な迫力

 和歌山県日高川町の道成寺にちなむ安珍・清姫伝説は、能や文楽、歌舞伎の演目として名高い。伝説自体は古くから知られており、室町時代以降は絵巻も数多く作られた。この絵巻を見せながら物語を語る、いわゆる「絵解き」は現在も道成寺で行われている。
 江戸時代末に描かれたとみられる絵巻は、うら若い娘が大蛇に変化するさまを、順を追って描いていく。この図は人間から大蛇に変わろうとする、まさにその最中をとらえたもの。体は人間だが、長く伸びた首は蛇。口からは火を噴き出し、角を生やした顔は般若のよう。長い髪も逆立っている。無名の絵師による素朴なものだが、人とも蛇ともつかない清姫の姿には奇妙な迫力がある。

(徳永誓子)

京都新聞2011年6月15日朝刊掲載

第3回

天狗

天狗

怪物画本、1881年

多様に変遷 猛禽の姿に

 高々と伸びた鼻に真っ赤な顔。ひげ面の山伏装束で、背中には羽根、手には羽団扇、足には一本歯下駄という姿が、一般的な天狗のイメージではないだろうか。
 しかしこの図では、着物はまとわず体には羽毛、猛禽類の翼とくちばしという、現在のいわゆる「鼻高天狗」像とはかけ離れた造形に描かれている。
 実は天狗は歴史の中で、そのありようを大きく変えてきた妖怪だ。古代には災厄の予兆の天体現象として、中世には仏法に敵対する姿なき悪霊や堕落した僧の転生した姿とされた。また飛翔する化物としてトビの姿にも描かれた。
 さまざまな姿は、「妖怪に変遷あり」ということを私たちに示してくれる。

(飯倉義之)

京都新聞2011年6月22日朝刊掲載

第4回

牛鬼

牛鬼

化物尽絵巻、江戸後期

土蜘蛛の野性味に重ね

 牛鬼は、平安時代中期の「枕草子」に「名よりも見るはおそろし」と評されるほど、古くから都人に恐れられた存在だった。その姿については牛頭に鬼の体、あるいは凶暴な牛の怪物など諸説ある。しかし「化物尽絵巻」の作者は、ひときわ大きく蜘蛛の胴体に牛の頭という姿で描いた。
 なぜ大蜘蛛だったのか。思い当たるのは中世に描かれた「土蜘蛛草紙」の蓮台野の土蜘蛛との関連だ。京都で当時、説話や絵画として流布していた化け物の代表例は、大江山の酒呑童子か土蜘蛛だった。どちらも都の辺境に住んで悪事を働き、最後は源頼光らに退治される。作者は、野性味のある土蜘蛛に「牛鬼」のイメージを重ねた、と考えられる。

(中野洋平)

京都新聞2011年6月29日朝刊掲載

第5回

花嫁行列

花嫁行列

化物婚礼絵巻、江戸後期

化け物総出でハレの日祝う

 「化物婚礼絵巻」は、化け物たちの見合いや結納、婚礼、出産などが描かれたユニークな絵巻だ。
 化け物の花嫁は、見合い話がまとまり婚礼の日を迎えた。この図は花嫁行列の一部分で、前後にも多くの化け物の列が続いている。白無垢姿で駕籠に乗っているのが花嫁。その駕籠の屋根にも目がついている。
 前方ではこわもての担ぎ手が長い首を担ぎ棒に巻き付けている。駕籠の右側の付き添いは、かぶった白布からくちばしがのぞき、左側には裃(かみしも)姿の蜥蜴のような化け物が控えている。
 駕籠の先には、手と足が1本ずつ生えた一つ目提灯がいて、一行を先導している。なんともほほ笑ましい花嫁行列だ。

(松村薫子)

京都新聞2011年7月6日朝刊掲載

第6回

面をつける妖怪

面をつける妖怪

百鬼ノ図、江戸前期

まるでだまし絵のよう

 この“芸能"妖怪は、今からひとさし舞うらしい。
 左手の鏡を覗き込み、右手で掴んだ赤頭(あかがしら)の位置を決めようと懸命な様子。腹や手足が緑色で、上半身は少し黄色がかっていている。手足と同じ緑色の顔が素顔なのか面なのか一瞬わからないが、よく見ると面紐があるのに気付く。まるでだまし絵のようだ。胸のあたりには毛が生えていて、狐や狸が鬼に化けているかもしれない。仮面の下はどんな顔だろう。
 前回紹介の「化物婚礼絵巻」には、新郎の妖怪自らが扇をとって謡う場面もある。芸能の大衆化とともに、化物も役者のように「化けたい」時代になっていったのだろうか。

(永原順子)

京都新聞2011年7月13日朝刊掲載

第7回

鬼の宴会

鬼の宴会

酒天童子絵巻、江戸時代

滑稽極まる酔いっぷり

 京の都をおびやかす鬼の首魁・酒呑童子(酒天童子)を退治すべく、山伏に変装して鬼の本拠地・大江山に潜入した源頼光と、配下の頼光四天王に藤原保昌を加えた勇士6人。酒呑童子がその頼光たちを人肉料理と血の酒でもてなすという凄惨な宴の図だ。
 酸鼻極まる本文とは裏腹に、主役の頼光と酒呑童子の周りに描かれた鬼たちの酔いっぷりは、滑稽極まるといえる。ごちそうに囲まれ、頼光四天王と差しつ差されつ。飲みすぎで頭を押さえ、ついには座敷で吐き戻してしまう鬼まで出る始末。脇役の鬼たちの人間味あふれる描かれ方からは、鬼に対する画工の親近感が伝わってくる。

(飯倉義之)

京都新聞2011年7月20日朝刊掲載

第8回

髪切

髪切

化物尽絵巻、江戸後期

全身真っ黒 闇に紛れ悪事

 気がつかないうちに髪を切られる怪事件が、江戸時代には度々起こったという。その犯人とされたのが妖怪「髪切」。大きなクチバシと両手は、はさみの刃のよう。頭は鳥をおもわせるが、体は人間に近く、赤いふんどしまで巻いている。闇に紛れて悪事を行うから、全身が真っ黒なのだろう。
 これとは別に、狐も人間の髪の毛を切って食べてしまうと考えられていた。こちらの方が古くから登場しており、平安時代の終わりに高貴な女性が被害に遭っている。狐による髪切りの伝承の源は中国にまでさかのぼる。ただし日本とは違い、被害に遭うのは男性。かの地の狐は美女に化けて犯行に及んだという。

(徳永誓子)

京都新聞2011年7月27日朝刊掲載

第9回

お歯黒

お歯黒

暁斎百鬼画談、1890年

ギラリ黒い歯、恐ろしや

 「暁斎百鬼画談」は、幕末から明治初期に活躍した絵師、河鍋暁斎が「百鬼夜行絵巻」をもとに描いた版本だ。この図は、醜女の妖怪がお歯黒をつけている場面。長い顔に団子鼻、大きく裂けた口で、耳盥(みみだらい)の上に道具一式を取りそろえて、入念にお歯黒をつけている。向かいの妖怪はあまりの恐ろしさに正視できず、顔を鏡の下に隠している。その様子を、獣の手をした女の妖怪たちが几帳(きちょう)の間から笑いながら見ている。
 お歯黒は、黒い歯が怪しい印象を与えるためか、時に怪しいものと結び付けられる。竹原春泉「絵本百物語」に描かれた「歯黒べったり」という妖怪や、猫や狐が化けたものがお歯黒をつけていたという話などがある。

(松村薫子)

京都新聞2011年8月3日朝刊掲載

第10回

琵琶と箏

琵琶と箏

百鬼夜行絵巻、江戸時代

雅な品が化ける斬新さ

 魑魅魍魎の世界では、どんな物でも妖怪に化ける。貴人が好んだみやびな楽器も例外ではない。この琵琶の化け物が箏(そう)の化け物を引くという絵柄は、器物が変化する「付喪神」の代表例としてよく知られている。
 器物が化けるという観念が成立したのは室町時代とされ、付喪神は当初、古道具や捨てられた日用品が主だった。そのような古めかしく、粗末に扱われたものが化けたのである。
 ところが室町期後半に成立した「百鬼夜行絵巻」は、みやびで手入れの行き届いた楽器を、あえて化け物に仕立てた。その斬新な趣向が、後にまで彼らが愛された理由なのだろう。

(中野洋平)

京都新聞2011年8月10日朝刊掲載

第11回

鵺

新形三十六怪撰、明治時代

不気味な声と闇への恐怖

 夜遅くまで仕事をしていると、闇のしじまに「ヒョー」という鳴き声が響き、ぞくっとすることがある。その正体はトラツグミ。鵺(ぬえ)とも呼ばれる鳥だ。
 話は平安時代にさかのぼる。御所で毎晩、怪しげな黒煙とともに「ヒョー、ヒョー」と鳴き声が響き、天皇はついに病に倒れてしまう。「鵺のような声で鳴く化け物を退治せよ」と命ぜられた源頼政が弓矢で射落としたのは、猿の顔、狸の胴、虎の手足、蛇の尻尾を持つ怪物だった。
 この絵は、頼政の家来の猪早太(いのはやた)がとどめを刺しているところだ。結果として「鵺」は怪物の名前として有名になった。不気味な声と暗闇に対する人々の恐怖から生まれた妖怪なのだろう。

(永原順子)

京都新聞2011年8月24日朝刊掲載

第12回

海坊主

海坊主

画本西遊記百鬼夜行ノ圖、江戸末期

化け物だって進歩する

 人間に恵みをもたらす存在でありながら、時に荒々しくすべてを飲み込み破壊する海。沖合に現れて船乗りたちを脅かす海坊主は、そんな海の不気味さ、恐ろしさが形となった現れた妖怪だ。江戸時代の錦絵などでは、大波かクジラのごとくのっぺりとして真っ黒い巨大な存在が、波間から立ち上がるような姿に描かれてきた。
 しかしこの「画本西遊記百鬼夜行ノ圖」では、三つ目の化物が、頭にシルクハットよろしく三本マストの蒸気船を乗せ、煙突から煙まで出している。目前に迫った明治の空気を反映してか、なんともハイカラな姿に描かれている。妖怪は世につれ、世は妖怪につれ。化け物だって、進歩するのだ。

(飯倉義之)

京都新聞2011年8月31日朝刊掲載

第13回

角盥の化物

角盥の化物

百鬼ノ図、江戸前期

器が変化「付喪神」の古株

 角盥(つのだらい)とは顔や手を洗ったり、化粧をしたりする時に使われた漆塗りの器のこと。現代人にはなじみのない道具だが、両側に突き出た特徴的な取っ手のせいか、百鬼夜行絵巻や化物尽絵によく登場する。
 象のような動物や女性の姿になっているものなど、描かれ方は実にさまざま。上の絵では化け物の頭部が角盥になっており、踊りながら柄杓で血のようなものをくんでいる。
 道具が変化した妖怪「付喪(つくも)神」のなかで角盥は古株の一人。踊る角盥は、南北朝期の「融通念仏縁起絵巻」写本の中にも確認できる。それをモデルにこの絵が描かれたのかもしれない。

(徳永誓子)

京都新聞2011年9月14日朝刊掲載

第14回

雪女

雪女

化物尽絵巻、江戸後期

多彩な伝承 死者の霊説も

 雪女は雪の日に白い着物姿で現れるという。この絵巻では、雪の上に浮かび上がった全身は真っ白で、口元だけが赤い。他の作品と比べて、その容姿を白色でのみ描いたのが特徴で、いかにも雪女らしい。
 ユキゴジョウ、ユキオンバ、雪女郎などの異称があり、各地に多彩な伝承がある。鳥取県では大雪になると雪に乗って出てくるといい、京都府では正月の餅つきの準備をしているときに姿を現した。宮城県では若侍が雪女に赤ん坊を抱くよう頼まれ、氷のように冷たい赤ん坊が腕から離れず気を失ったという。
 雪女は死者の霊ではないかという説がある。この世にやり残したことがあって出現するのかもしれない。

(松村薫子)

京都新聞2011年9月21日朝刊掲載

第15回

狐火

狐火

怪物画本、1881年

最もポピュラーな怪火

 出所のわからない不思議な炎を怪火(あやしび)という。海上に出現する「不知火(しらぬい)」、亡者の魂が燃える「人魂(ひとだま)」など、時代や地域ごとにいくつかの種類がある。なかでも「狐火」はもっともポピュラーな怪火で、目撃談も多い。
 たいていは遠くの山すそなどに光の行列がみえ、急についたり消えたりする。あるいは提灯ほどの明かりに近づいてみると何もない。これらを「狐火」といって、狐の吐く息やよだれが燃えていると考えられた。
 狐が火をおこす姿は早くも鎌倉時代初めの「鳥獣人物戯画」にみえ、後の「付喪(つくも)神絵巻」などに描き継がれている。描かれた狐火の多くは狐の尾の先に灯っている点が特徴的だ。

(中野洋平)

京都新聞2011年9月28日朝刊掲載

第16回

ぬらりひょん

ぬらりひょん

暁斎百鬼画談、1890年

異形の老人 絵巻の常連

 後頭部が大きく突き出た異形の僧形の老人が、のらりくらりと歩いている。にやついているのか苦り顔なのか、真意を測りかねる表情。画中に名前はないが、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」などの妖怪絵巻の常連「ぬらりひょん」だ。
 つかみどころのないさまを擬人化した妖怪で、最近ではマンガやアニメでの「孫」の活躍も有名だ。このぬらりひょん、妖怪を一体ずつ紹介する絵巻物では常連でも、妖怪たちが行進する「百鬼夜行絵巻」には決して登場しない。それをこっそり妖怪の群れに交えて歩かせたのが希代の絵師・河鍋暁斎である。暁斎、ぬらりひょん以上に食えない存在ではあるまいか。

(飯倉義之)

京都新聞2011年10月5日朝刊掲載

第17回

山姥

山姥

滑稽洒落狂画苑、江戸後期

生命守る母親の姿

 山姥(やまんば)といえば、どんな姿を想像するだろう。人食いの鬼婆か。牙を光らせ、髪を振り乱し…。かつてそんなギャルも生息していたが。
 ここに描かれる山姥は生命を守る母親のイメージだ。小猿に乳を優しく与えており、赤子が「俺の番だ!」と言わんばかりに右手を振り上げている。この子こそ金太郎、後の坂田金時である。
 高知の山姥は豊作や賭け事の神だ。能「山姥」の謡によると、里に下りて機織りや荷運びを手伝う者もいるらしい。ある時はたけり狂い、ある時は皆を慈しむ。そんな山の精霊、「やまのかみ」が山姥なのである。彼女を怒らせるかほほえませる微笑ませるか。それは私たち次第だ。

(永原順子)

京都新聞2011年10月12日朝刊掲載

第18回

化け物の宮参り

化け物の宮参り

化物婚礼絵巻、江戸後期

不気味というよりユニーク

 江戸時代の人びとは妖怪や化け物を「恐れる存在」としてではなく、草双紙や玩具などに描いて娯楽的に楽しんでいた。そのような時代背景の中で、化け物の婚礼や出産を描いた「化物婚礼絵巻」は実にユニークだ。
 この図は、見合い結婚した夫婦の間に生まれた子供の宮参りの場面。皆が拝んでいる幣束も、紙垂(しで)が両腕のように伸び、赤い足で黒雲の上に立つ化け物だ。
 先頭に立つ女の化物に赤い紐で抱かれた赤ん坊は一つ目で、宮参りの着物にくるまれてにっこり笑っている。続いて5体の化け物が両手を合わせ、子供の無事な成長を願っている。化け物たちが宮参りして神様を拝むという設定が大変面白い。

(松村薫子)

京都新聞2011年10月19日朝刊掲載

第19回

化け蜘蛛

化け蜘蛛

La arana duende、1914年

八雲が手がけた 外国人向け昔話

 外国人向けに、日本の昔話をヨーロッパの言語に訳し、美しい挿絵をつけた本が明治時代を中心に作られた。使われた紙の質感にちなみ「ちりめん本」と呼ばれるそれらの中に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の手がけた本が5点ある。
 その一つ「化け蜘蛛(ぐも)」の表紙だ。半分しかない薄っぺらな体で提灯を持つ不気味な女性の正体は土蜘蛛。武士に退治されるというあらすじは典型的だが、元ネタは不明である。この化物は西洋人・八雲の想像力の産物だろうか。現代のマンガに登場しそうな、何ともユニークな姿を描き出した絵師鈴木華邨の力量にも感嘆させられる。

(徳永誓子)

京都新聞2011年10月26日朝刊掲載

第20回

はしか神

はしか神

はしか養生草、1862年

対処法を絵入りで説明

 1862(文久2)年、幕末の江戸ではしかが大流行した。このとき、病の対処法を絵入りで記した「はしか絵」が多く版行された。
 「はしか養生草」はその一つで、上段に病によい食べ物と慎むべき行為が列挙され、下段に2人のはしか神が責められる場面が描かれている。責め道具は、はしかに効くとされた麦や黒豆、漢方薬の烏犀角(うかくさい)。他に鍾馗(厄よけの神)が描かれる場合もあった。はしか絵の大半はこのような構図で、天然痘やコレラが流行した際にも同様の錦絵が作られた。食物や薬の簡素な描写に対して、疫神は必ず醜い化け物として描かれ、当時の病に対するイメージがよく表現されている。

(中野洋平)

京都新聞2011年11月2日朝刊掲載

第21回

玉藻前

玉藻前

怪物画本、1881年

王を骨抜き 傾城の美女

 「美しいものにはとげがある」というが、とげならまだまし。命を落とすこともある。この絵の妖艶な女性には九つの尻尾があり、怪しい光を放っている。インド、中国、日本と時空をとび超え、各時代の王様を骨抜きにした傾城(けいせい)の美女妖怪だ。
 日本では正体を暴かれて追い詰められ、下野国の那須野で恨みとともに石となったという。その怨念は瘴気(しょうき)となり、近づいた鳥や旅人までとり殺したので、「殺生石」と呼ばれて恐れられた。
 那須湯本温泉の近くに残るこの石からは、今なお硫化水素などの有毒ガスが吹き出している。ひたひたと迫る目に見えない脅威。どこからか怪女の高笑いが聞こえてきそうだ。

(永原順子)

京都新聞2011年11月9日朝刊掲載

第22回

酒呑童子

酒呑童子

大江山酒呑童子、1850年ごろ

都人を恐怖のどん底に

 鎧武者に取り囲まれた美丈夫の顔の半面が、次第に鬼に変わる。この恐ろしい異形が彼の本性だったのだ。彼こそ、平安京の都人たちを恐怖のどん底に陥れた鬼の首魁・大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)である。
 大江山は福知山市と宮津市の間にあるが、毎夜京の都を襲うにはあまりに遠い。そこで都人は、現在の京都市と亀岡市の境、老の坂峠付近に大江山をあてはめていたようだ。同地は盗賊が闊歩し、鬼が篭もるとうわさの立つ、ミステリースポットだったのだ。
 今は「大枝山」と書くその地に、妖怪文化研究の拠点である国際日本文化研究センター(京都市西京区)が建っている。なんとも奇遇である。

(飯倉義之)

京都新聞2011年11月16日朝刊掲載

第23回

文福茶釜

文福茶釜

新形三十六怪撰、明治時代

人気者を威厳たっぷり

 狸の恩返し話、文福(分福)茶釜は日本中で親しまれてきた昔話だ。絵本やアニメでは主人公のタヌキをじつにかわいらしく描く。
 ただ、群馬県館林市の茂林寺を中心に伝わる話はかなり違う。茶釜ではなく人間―「守鶴」という僧に化けたタヌキが主役で、寺のために尽くすものの、最後は正体がばれて去っていく。江戸時代に流布したこちらの話をもとに、浮世絵師・月岡芳年は獣ながら威厳のある、齢数百年の老タヌキを絵にした。
 国際日本文化研究センターの怪異妖怪画像データベースには、かわいい(?)文福茶釜もいるので、興味がおありの方はぜひとも検索を。

(徳永誓子)

京都新聞2011年11月23日朝刊掲載

第24回

難儀鳥

難儀鳥

1855年

震災復興の光と影 凝縮

 1855(安政2)年10月2日夜、江戸市中を大地震が襲った。安政江戸地震である。この直後から、町人の間で「鯰絵」と総称される多様な刷り物が流行した。「難儀鳥(なんぎちょう)」もその一つで、復興景気に浮かれる左官や大工などの職人を風刺している。
 怪鳥の体は茶わんや反物、書物などの諸道具が寄せ集まってできており、一つひとつが料亭や呉服屋、貸本屋など震災で職を失った者たちの象徴だ。彼らの怨嗟の声が結集した難儀鳥は、職人たちの宴会を襲い、酒肴の鯰(地震)をわしづかみにして飛び去っていく。
 その鳴き声は「甚だ哀れ」だったといい、震災復興の光と影がこの絵に凝縮されている。

(中野洋平)

京都新聞2011年11月30日朝刊掲載

第25回

河童

河童

大新板ばけ物ずくし、明治時代

最後飾る妖怪の代表選手

 連載の最後を飾るのは、妖怪の代表選手ともいえる河童である。
 お皿をのせた頭、緑や赤色の胴体、水かきのある手、そして嘴(くちばし)をもつ姿が多いが、意外なことに甲羅は必須ではない。毛むくじゃらの恐ろしげな猿のような絵もあれば、体にトノサマガエルのような模様が描かれた絵もある。そうかと思えば、この作品のようにかわいいキャラクターとしても親しまれてきた。
 私たちの祖先は、見えない出来事に姿を与え、モノの魂を擬人化してきた。恐ろしくもあるが、どこかユーモラスで、その土地の文化に根ざした妖しき者たち。それらを創り、愛するという趣向は現代の「ゆるキャラ」にもつながっている。

(山田奨治)

京都新聞2011年12月7日朝刊掲載