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怪異・妖怪画について

 本センターでは、7年ほど前に、科学研究費等を得て行なってきた怪異・妖怪文化研究の一環として、民間で語られた怪異・妖怪に関する伝承を集積した「怪異・妖怪伝承データベース」を作成し、公開しました。

 このデータベースは、それを補完するものとして、科研費や所内経費を得て制作された、怪異・妖怪画のデータベースです。

 日本には、「怪異・妖怪伝承データベース」が物語るように、豊かな怪異・妖怪伝承が育まれてきました。しかし、そうした「語られた」伝承に並行して、怪異や妖怪を絵画・造形化する伝統も長い歴史をもっています。縄文土器などの考古学的資料のなかにさえもそれらしき造形が見出されるといいます。奈良時代に制作された仏伝(釈迦の伝記)を絵画化した絵巻「絵因果経」にも、やはり釈迦の布教を妨害する「魔物」の姿が描かれています。

 しかし、今日の怪異・妖怪の造形につながる怪異・妖怪造形は、平安時代に貴族を中心に愛好された絵巻が定着して以降のことのようです。そのころから、さまざまな素材にもとづいた絵巻が作られ、その一場面として、怪異・妖怪の様子を描いたと思われる絵画が登場してきます。たとえば、「北野天神縁起絵巻」には、地獄の様子が絵画化されており、そこにはたくさんの地獄の獄卒(鬼)が描かれていますし、宮中に落雷する、鬼の姿をした雷神や、蛇の形をした人に乗り移った怨霊が描かれています。「不動利益縁起絵巻」や「融通念仏縁起絵巻」「長谷雄絵巻」などにも、絵画化された疫病神(百鬼夜行)が登場します。このように、日本人は、怪異・妖怪を早くから絵画化してきたのです。

 さらに、怪異・妖怪を中心テーマとした絵巻も、鎌倉時代後期から南北朝時代から好んで描かれるようになりました。たとえば、天狗を撃退する「是害坊絵巻」、土蜘蛛を退治する「土蜘蛛草紙」、大江山の酒呑童子一党を退治する「大江山絵巻」などがそれですが、さらに時代が下ると、妖怪たちのパレード(百鬼夜行)を描いた「百鬼夜行絵巻」まで作られるようになりました。江戸時代になると、こうした妖怪絵巻の伝統をふまえつつも、たくさんの娯楽としての怪異・妖怪画が、さまざまな絵画形式や媒体に描かれるようになります。このころから、怪異・妖怪文化は、日本文化の潮流の大きな一角を占めるようになったのです。おそらく、今日のアニメーションやコミック、ゲームなどに登場するおびただしい妖怪たちも、その子孫なのではないでしょうか。

 本センターでは、こうした怪異・妖怪の造形も、日本文化の歴史において重要な役割を果たしてきたという観点から、日本文化研究の基礎資料とみなし、その絵画・造形物に関する情報の集積に努めるとともに、その活用の方法を検討してきました。

 残念ながら、怪異・妖怪関係の絵画・造形文化資料に関しては、所蔵権や著作権等の問題もあって、容易にはデータベースを構築することができません。しかし、おそらく将来的には、そうした諸問題を克服して、日本の怪異・妖怪画・造形文化資料が構築されるものと思われます。

 そこで、私たちは、そのようなことが訪れることを夢見つつ、とりあえず、本センターが所蔵する関連資料による「怪異・妖怪画像データベース」を実験的に作成し、研究その他に活用していただくために、公開することにしました。

 まだ、本センターの所蔵品のすべてを網羅したものではありませんが、さまざまな方々に閲覧・利用していただき、忌憚のないご批判をいただきながら、よりいっそう充実したものにしていきたいと考えております。

 なお、このデータベースは、多くの方々の協力によって作成されたものです。協力していただいた方々に心から感謝いたします。

平成22年6月

国際日本文化研究センター
怪異・妖怪画像データベース作成委員会  委 員 長 小 松 和 彦

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